誇りある国づくりへ
天皇陛下御在位20年奉祝に関する各界の取り組み

各団体一覧

(敬称略)

安里 繁信((社)日本青年会議所会頭)

安里 繁信((社)日本青年会議所会頭)

 御代の栄を

 このたび、天皇陛下御即位二十年、並びに御成婚満五十年をお迎えあそばされましたこと、謹んで心からのお祝いとお慶びを申し上げます。また、若輩の身にありながら、はからずも「天皇陛下御即位二十年奉祝委員会」代表世話人としての栄誉に預かり、この上なき感動と感謝の念を覚えております。

 今上天皇におかせられましては、御即位から今日に至るまで、そして未来永劫にかけて国民の幸せと我が国の安寧と弥栄を願われておられます。私ども日本国民は、御即位二十年の慶賀を迎えるにあたり、天皇陛下を象徴、範とし、歴代百二十五代にも及ぶ世界にかくも類稀な歴史と伝統を有する皇室を戴くことのこの上なき喜びを今更ながらに噛み締めているところでございます。

 怖れ多くも、憚りながら申し上げれば、平成二十一年、天皇陛下御即位二十年というこの佳節の年にあって、私ごときが奉祝の言葉を献呈申し上げる機会に浴しておりますのは、日本青年会議所という団体を代表する立場であるからにほかなりません。そしてこの書を認めております今この時は、まさに我が会議所の来たる全国大会開催準備の最中であり、その開催地であり、併せて我が出生の地沖縄にて大会期間中「平和の集い」を挙行致しますことに、深い感慨の念を抱いているところです。

 思えば、昭和天皇におかせられては、祈願の沖縄ご行幸が果たされず、その御意志を受け継がれた今上天皇並びに皇后両陛下の初の行幸啓に際し賜りました世界平和希求へのお言葉は、沖縄県民をはじめ日本国民全員がその御心を知り、思いを一つに感じた瞬間であり、その感動と喜びは筆舌に尽くし難いものがございました。これまで、幾度となくあらゆる機会を通し、陛下は平和の大切さを語られておられます。

 このたび、当団体のみならず、次代を担う各種青年団体が結集し、かの大会に際し初めて「平和宣言」を発信致しますことは、世代を受け継ぎ、そして後世へと引き継いでいく私どもの覚悟の表明、約束であると同時に、国家の安泰と、世界に朋友の輪が広がらんことを希求し、努力し続けることの「誓い」であります。それは、平成5年に天皇皇后両陛下が、歴代の天皇として初めて沖縄の地を行幸啓された際に天皇陛下が自ら謳われた、沖縄の和歌ともいうべき琉歌から読み取れるその思い、御心に端的に表されております。

弥勒(みるく)世(ゆ)よ(ゆ)願(にが)て(てぃ) 揃(す)り(り)たる人(ふぃとぅ)たと(とぅ) 戦場(いくさば)の(ぬ)跡(あとぅ)に 松(まつぃ)よ(ゆ)植(う)ゑ(い)たん


 天皇陛下がこの御歌の中で植樹された松に込められた思いや願いを、私どもは決して忘れることなく受け継いでいく決意を新たにしております。そして、かくもひたすらに、国と国民のため、献身的に尽くされる天皇皇后両陛下への衷心からの感謝の念を込め、琉歌をもって、結びとさせて頂きます。

常盤(とぅちわ)なる松(まつぃ)の(ぬ) 変(か)わり無(ね)ん如(ぐとぅ)に 千代(ちゆ)に千代(ちゆ)重(かさ)ね(に) 御代(みゆ)の(ぬ)栄(さかい)

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稲山 霊芳(念法眞教燈主)

 このたび、天皇陛下におかせられましては

 ご即位二十年をお迎えになりましたこと、国民の一人として心よりお祝い申しあげます。

 平成二年十一月十二日、皇居宮殿松の間において「即位正殿の儀」が行われ、世界百五十八カ国の代表が見守る中、天皇陛下は

「高御座」においてご即位を宣明あそばされたのでありました。

 あれから二十年、天皇陛下は各都道府県で行われた植樹祭や国民体育大会に皇后陛下と共に行幸啓あそばされ、民生の向上、福祉の充実、産業の発展ぶりなどをご視察になるなど、只管国民の幸せを願われてのご巡幸であったと承っております。

 また陛下は阪神大震災や中越大地震のときは、いち早く災害地を見舞われ、被災者を励まし勇気をお与え下さいました。

 亦、さきの大戦で尊い命を捧げた戦歿者や遺族に対しましても深い御心をそそがれ、戦災の大きい沖縄、広島、長崎、東京、そして硫黄島やサイパン島まで慰霊の旅をおつづけ下さいました。更にはご公務のお忙しい合間を縫って海外にもお出ましになり世界の国々との友好親善をすすめて下さいました。

 陛下は平成十五年に一時体調を崩され、私どもは大変心配いたしましたが、程なくご回復になり安堵いたしました。

 また皇后陛下も一時お声が出なくなられお案じ申しあげましたがこれも程なくご本復され安心いたしました。

 両陛下とも、このあと以前とお変わりにならないで公務にご精励あそばされているご様子は何としても有難く感謝申し上げているところであります。

 承るところによりますと、天皇陛下のご日常は宮中祭祀と国事行為で私達が想像もつかないきびしいご日程だとのこと、年間二十数回に及ぶ恒例祭儀、一年三十五回の旬祭、さらに一年三百二十九回の毎朝のご代拝。月三回の旬祭のうち毎月一日は午前八時三十分に天皇陛下が装束を着けられて宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)にご参拝になり親しく日本の国の安泰と国民の幸福をお祈り下さるとのこと。あと二回の旬祭は当直の侍従が陛下に代わって参拝し、毎朝のご代拝は侍従が午前八時三十分に宮中三殿を陛下に代わって参拝するとのことであります。要するに宮中祭祀の全ては国の安泰と国民の幸福に繋がるものであり、私達国民は毎日天皇陛下のお祈りの中に生かされてきたのであります。このことを考えますとき、私達日本人は何という幸せ者であろうかと、ご皇室に対して心から感謝申し上げずには居られません。

 天皇陛下におかせられましては、ご健康にご留意を頂き、このあとのご在位三十年、四十年と続きますことを祈念申し上げ、ご即位二十年奉祝の辞とさせて頂きます。

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猪谷 千春(IOC(国際オリンピック委員会)副会長)

猪谷 千春(IOC(国際オリンピック委員会)副会長)

 「スキーをご一緒させて頂いて」

 天皇皇后両陛下におかれましては、本日、お健やかに御大婚五十周年をお迎えになられました。謹んで心からお祝いとお慶びを申し上げます。

 天皇陛下に初めてお目にかからせて頂きましたのは、陛下が御年十六歳の時で、まだ皇太子の時でいらっしゃいました。その年、殿下がスキーを始められることとなり、宮内庁からご指南役として私の父・猪谷六合雄(くにお)がご指名頂き、私は補佐役として同行させて頂くことになりました。その時以来、長年、殿下のスキーのお伴をさせて頂くようになり、またスキートレーニングの一貫としてテニスをしておりました私は、殿下のテニス友達のグループにも入れて頂く栄にも浴し、皆さんとご一緒にプレイを楽しませて頂くようになりました。

 テニスにまつわる様々な思い出の中で、やはり何といっても一番の思い出はお仲間の中に、お一人、一段と輝いていらしたお嬢様にお会いしたことでした。その方が、美智子様だったのです。テニスがとてもお上手でお美しく、明るくて聡明なこのお嬢様には、失礼ながら私も含めて周りの男性は皆心を奪われておりましたが、まさか殿下もひそかに美智子様のハートを狙っておられたとは夢にも思っておりませんでした。やがて御成婚が発表されると、テニスに一大ブームが巻き起こり、テニスをしない若い女性までもが、ファッションの一部としてテニスラケットを肩に担いで颯爽と街を歩いていたことを思い出します。

 殿下と美智子様は、よく一緒に組まれて混合ダブルスをされておられました。お二人のチームワークはなかなかのもので、どちらかというと堅実でオーソドックスなテニスをされる殿下がベースラインを守られ、積極的なネットプレーを得意とされた美智子様がネットにつくという、このフォーメーションが出来上がると無類の強さを発揮されました。そして、どちらかがミスをするとお互いに優しく声をかけてかばいあい、コート場でも何とも微笑ましいお二方でした。

 また、スキーをご一緒させて頂いて、特に強い印象を得ましたのは、両殿下の国民に対するひたむきな思いに接した時でした。スキーを最初に始められた時のこと。もし〝神風スキーヤー〟にぶつかりお怪我でもされたらそれこそ大変ですので、スロープの一角にロープを張って一般のスキーヤーがすべりこんでこられないように準備いたしました。それをご覧になられた両殿下は即座に、「同じようにスキーを楽しみに来ている人たちのスキー場を、自分たちのために狭めるようなことがあっては絶対にならない」と大変厳しくおっしゃられ、事情をご説明申し上げてもついにお許しを頂くことができず、大変悩んだことがありました。また両殿下にはご日程が限られているものですから、なるべく短い時間を有効に使って頂こうと、スキーパトロール用の入り口からリフトにお乗り頂けるように手配しました。当時は今と違い、リフトの数も少なく、一回乗る毎に小一時間行列をしなければ乗れない時代でありました。しかし、ここでも両殿下は「他のスキーヤーはみんな並んで乗る順番を待っているんだから、自分たちも同じように並んで待つ」と主張されまして、長い列の一番後ろに並ばれたのには、周りにいたスキーヤーたちは両殿下の思いやりに大変感激したものでございます。

 また両殿下に少しでも早く上達して頂こうとの思いから、シーズンが始まる前に、前の年よりも性能が向上したスキーの板やスキー・ウェアーをお召しになって頂こうと、その旨を申し上げても、「今までのものはまだ傷んでいないから、変える必要はない」と首を縦に振っては頂けませんでした。それにしても、妃殿下のウェアは流行おくれになっておりまして、大変気の毒に思い、何とか殿下に翻意して頂こうと考えました。そして、思い余った私は、窮余の策として「殿下、私がお付きしているのに、あのように古い板やウェアをお召しになっていると、『いったい猪谷は何を考えているのか』と私が笑われます。申し訳ありませんが、ここは私のメンツを立てて頂けませんでしょうか」と懇願して、やっと新しい道具を揃えることに同意して頂きました。

 皇族の方は、いつもきらびやかな面だけが報道されているようですけれども、実際は、このように本当に質素なご生活を送られていることを目の当たりにいたしまして感激いたしました。国民と日本の国のことを常に頭におかれてご公務におつきになっておられる天皇皇后両陛下には、くれぐれもご自愛いただき、国民統合のシンボルとして、いつまでも国民の頭上で光輝いて頂きたいと衷心より願っております。

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岩沙 弘道((社)不動産協会理事長)

岩沙 弘道((社)不動産協会理事長)

 不動産協会の使命

 天皇陛下が御即位されて二十年を迎えられましたことを心よりお慶び申し上げます。

 この二十年間は、国の内外において様々な出来事がございました。我が国においては、長野オリンピックやサッカーワールドカップ、愛知万博など大きな国際イベントが開催された一方で、阪神・淡路大震災をはじめとする数多くの自然災害や、地下鉄サリン事件など痛ましい事件が発生しました。国外でも、同時多発テロ事件など悲しい出来事が数多く発生し、また今もやむことはありません。その時々に、陛下が平和と国民の幸せを願って我々国民および世界の人々に対してお示しになられる思し召しやお言葉にどれほど励まされてきたことでしょう。

 私ども不動産協会は、我々国民一人ひとりが真に豊かな暮らしを実感するため、ゆとりに満ちた住まいや、快適かつ創造的な職場、安らぎと健康を享受できる生活スタイルを提供することを社会的使命としています。

 私どもの活動が、常に国民一人ひとりの幸せを願っておられる陛下のお気持ちに少しでもお応えできるものであれば、これ以上の幸せはございません。

 両陛下におかれましては、これからも、ご健勝にてあられますことと、御代の弥栄を心よりお祈り申し上げます。

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宇佐美 忠信(富士社会教育センター理事長)

 正しい国家観、歴史認識を

 天皇陛下御即位二十周年をお祝い申し上げます。百二十五代も続く日本の皇室は世界に誇るべきものです。天皇、皇后両陛下には、国家を象徴して、公務を司り、国民生活の安定、海外諸国との交流による世界平和の確立に盡され、宮中行事の祭主としての御努力をされていることに深く、感謝申し上げます。

 私は、平成十八年勲一等瑞宝章を授与されましたが、その折初めて身近で御姿を拝見致しました。温厚な御人柄に接しました。現在、雇用不安が大きな課題ですが、未発表ですが労働界の代表を宮中に招かれ、夜約二時間に至り両陛下は御進講をうけておられ、国民の悩みを直接知ろうと御努力されていることに感銘をうけています。

 昭和五十五年から同盟会長をしていましたが、昭和六十年に、民間団体主催ですが、建国を祝い、天皇陛下の御長寿を願う万才三唱の音頭をとりました。この式典には各界代表多数が参加していました。

 これに対し、労働界や、左翼勢力から激しい批判をあびせられましたが、信念は変わりません。国が良くならないで労働者生活のみが向上することなどあり得ません。

 天皇陛下の靖國神社御親拝も念願していますが、A級戦犯が合祀されているから行くべきでない、中国、韓国などが反対するから行くべきでないということが続いています。

 戦傷病者戦没者遺族等援護法、恩給法の改正が行われ、戦犯で処刑された人も法務死という扱いをうけることになったのです。

 戦後、東京裁判史観で教育をうけた人々が、現在、首相はじめ政治家リーダーとなっているため首相の靖國神社参拝反対となっています。これでは陛下の御親拝は実現出来ません。国民が国家に対し、誇りを持ち、愛国心を育ててこそ、伝統と歴史が正しく継承されていくものと思います。一九七〇年代の英国病と云われた英国を建て直したのは、サッチャー首相の教育改革の断行があったと云われています。

 皇室を尊敬し、すばらしい日本の建設に努力しましょう。政治家の中にしっかりした国家観、正しい歴史認識をもつ者が一人でも多くなることが必要です。

 天皇、皇后両陛下の御健康を祈念申し上げます。

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宇都宮 鐵彦((株)日華代表取締役会長)

宇都宮 鐵彦((株)日華代表取締役会長)

 天皇陛下をお支えする体制を

 天皇陛下のこの二十年の御活動を知れば知るほど、案じられることがあります。陛下をお支えする体制は十分なのだろうか、ということです。具体的には、宮家がこれほど少なくていいのだろうか、と思うのです。

 歴史的に見ても、皇室は、陛下を支える多くの皇族がいらっしゃって成り立ってきました。思い出すのは、今から六十余年前、終戦のときのことです。昭和天皇は八月十六日、竹田宮、朝香宮、閑院宮を呼ばれて「前線の兵はにわかに私の気持ちを理解してもらえないだろう。そこで私の特使として私の気持ちを前線に伝えてほしい」とおっしゃられ、竹田宮は関東軍と朝鮮軍に、朝香宮は支那派遣軍に、閑院宮は南方総軍にそれぞれ天皇の特使として派遣されました。

 この特使派遣がなかったならば、海外の日本軍の武装解除があれほど整然と行われていたかどうか。軍の幹部が派遣されていたら「お前たちの戦争指導が悪かったから負けたんではないか」と非難され殺されていたかも知れません。賀陽宮殿下からも当時のことを伺いましたが、皇族が来られたからこそ、血気に逸る軍人たちも「殿下が来られたのならば、矛を収めるしかない」と納得したわけです。いざという時、天皇陛下からご相談を受け、その意を体して動くことができるのはやはり皇族だけだということです。

 ところが日本の敗戦後、GHQによって十一もの宮家が臣籍降下を余儀なくされ、皇族の数は激減してしまいました。現在は、宮内庁や侍従の皆さんが大変な御努力をされていらっしゃるとは思いますが、役人の場合どれほどしっかりした方であっても、妙な誤解をされはしないか、変な風に伝わっていく心配はないか、色々とお気遣いをされながら話をせざるを得ません。宮内庁長官の私的メモが公開されたことがあるように、話された内容が外に漏れる懼れもあります。

 国家の命運を担われている天皇陛下にとって、役人に相談できないような機微にわたる問題をどうしたらいいのか、これが陛下のご心痛の原因の一つではないかと思うのです。せめて年齢の近い皇族の方々がもっといらっしゃれば、表に出せないご相談もお出来になるのではないかと思うのです。

 これは、陛下だけのことではありません。マスコミでは今、皇太子妃殿下のことが色々と書かれております。それらの報道に接するたびに、皇太子殿下や妃殿下のご相談相手となり、皇族とはいかにあるべきかを身をもって示す皇族の方が何人もいらっしゃれば、その方々に内々にご相談することも出来るはずなのにと思い、現状に心を痛めております。

 有難いことに、臣籍降下された十一の宮家の子孫の方々の多くはいまも福祉や学術、スポーツなど様々な分野で名誉職に就かれ、ご活躍になっておられます。ですから、これらの方々に皇族にお戻り頂き、両陛下を身近でお支えすると共に、その意を体して国民の皆さんとの架け橋となるような役割を担って頂くことは出来ないでしょうか。そのような提案を申し上げることが国民の責務だと信じております。

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岡野 聖法(宗教法人解脱會法主)

岡野 聖法(宗教法人解脱會法主)

 御即位二十年を衷心より慶賀申し上げます

 山紫水明にして文化伝統の豊かなわが国に、慶賀の歴史がまた新たに刻まれました。

 天皇陛下御即位二十年という佳節にめぐり合うことのできた日本国民の一人として、胸打ち震える喜びと共に、心からお祝い申し上げる次第であります。

 天皇皇后両陛下の御姿は常に清らかであられ、誠の光が日本国中に隈なく放たれているかのように感じられます。それはまさに、日本人が神と崇めてきた大自然の美しさそのものを体現しておられると拝察されます。

 清らかな水、清らかな空気、そして清らかな心を求めてやまない日本人が、至高のお手本として両陛下を敬い仰ぐことができますことは、何と幸せなことでしょう。そしてさらに有難いことに私ども国民は、すべてのいのちを生かし育む太陽のごとく、広大無辺な、分け隔てないあたたかなご慈愛を、両陛下から注いでいただいております。

 御即位以来、四十七都道府県すべてに行幸され、国民の生活に御心をお寄せくださったことは、その一例であります。特に阪神淡路大震災や新潟中越地震などの折々には、被災地にいち早く行幸啓なされ、被災者を励ましてくださいました。避難所の床に、履物を召されることもなく跪かれ、被災者と目線を同じくして励まされるお姿を記録映像に拝見し、胸つまる感激を覚えました。当事者の感激は如何ばかりかと思うと同時に、私どもも、自分の立場においてできる限りの支援をしていかなくてはならないとあらためて心したものでございます。

 また、御歴代を通じて受け継がれてきた天皇陛下の、祈りに向けられた大御心の尊さも、忘れ得ないものであります。

 「皇室は祈りでありたい」と皇后陛下が静かに言明されたとき、そのもったいなさを心に刻んだのは私一人ではないと存じます。

 天皇陛下がすべての祭祀において「国家の安泰」「国民の幸せ」「五穀豊穣」を祈られると知った日本国民は、この無私大愛の祈りがあるからこそ、国が守られ、日本国民は幸せであるのだと深く得心したのです。

 天皇皇后両陛下の祈りの御姿を、畏れ多くも私は、本年の終戦記念日、日本武道館で執り行われた「全国戦没者追悼式」において間近に拝することができました。そこから放たれる光に、平成十七年六月、サイパンのバンザイクリフで捧げられた真摯な祈りの御姿が重なって、一層の感謝の念を深くしました。

 国の中心に清高なる天皇陛下が御存在する、その尊き祈りによってこの国は守られている、この有難さはどう感謝してもし尽くせるものではありません。天皇陛下の清らかなる神心にお応えすべく、ひたすら報恩の誠を尽くしてゆくほかないのであります。

 御即位二十年を寿ぎ、天皇陛下の誠実、謙虚、寛容などの真心に私どもは学び、日々の生活実践を通して、共存共栄、大和の実現に向かうことを誓うとともに、御皇室の弥栄をお祈り申し上げ、奉祝の言葉にかえさせていただきます。

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岡本 道雄((財)日独文化研究所理事長・所長)

岡本 道雄((財)日独文化研究所理事長・所長)

 天皇陛下へのお手紙

 天皇皇后両陛下在位二十年お目出とうございます。

 私は、京都大学第十九代総長であり、又中曽根総理大臣の時の臨時教育審議会会長を致しました岡本道雄でございます。

 謹み且つおそれつつも天皇陛下御即位二十年奉祝委員会のお勧めもありまして一筆失礼申しあげます。

 私個人と致しましては天皇陛下に拝謁いたしましたのは、昭和天皇と現在の両陛下のみでございますが、両陛下には臨教審会長時お二人様が皇太子であられたご夫妻の時、当時京都大学名誉教授としてであって、私の尊敬申しあげていました上山春平氏と二人で御殿に参上し昼食を共にさせていただき、その後、御懇談の光栄にあづかったことがあり、その後、御即位された後も、度々拝謁の機会を賜りました。

 皇太子殿下時代、拝謁の折りに、私が率直に臨教審のことをお話出来ましたこともあり、両陛下にこのような形でお手紙をさし上げることは、緊張のみでなく親しみの気持ちを深く感じます。

 その後、殿下は天皇様としての重責を果たされました。国民に対するお姿は常に人間として慈愛に満ちた穏やかなお態度で接せられ、慈父のようなお姿であります。

 又、外国においては、お言葉をかわされる外国人に対するご態度は、国家の相違を感じさません。両陛下には、人としての親しみと申しますか、国際交流の真髄を実行されておられます。私は、常にこのことを感じ、心から敬服・讃美しております。しかし、日本の国民は、特に戦争後、はたして皆様、天皇陛下の御存在の意味をよく知っているのでしょうか。

 私は、只今の皇太子ご夫妻様に対する国民の感想を雑誌などで目にして、天皇の本当の意義を、日本人自身が言葉では国民統合の象徴と申していながらその本当の意味がわかっていないのではないかと思います。

 私は、この六、七年間病気で入退院を繰り返しております。その間に、あの大学紛争の哲学的背景の勉強の為、哲学を一生懸命勉強してきました。そして、この日本の天皇制について単に個人の傾向や好みではなく、哲学的に日本の天皇制について、人間である天皇の将軍と天皇の相違からときおこし、天皇制の意義を世界語である哲学を以て明記したものは西田幾多郎の「日本文化」のみであることを発見しました。

 哲学は、人間の学問であります。単なる科学でありません。又、宗教そのものでもありません。それら凡てを抱含し、人間とは何か、人生とは、社会とは、国家とは、世界とは、人類とはと論じたものです。私は日本人には哲学が足らぬと思っています。人生の終わり、九十六歳の私が只今、この気持ちに成っていることを私は運命として感謝しています。西田哲学は日本の哲学として世界的にみとめられている唯一のもの。その西田幾多郎先生の哲学を継ぐ哲学者も識っています。

 この得難い機会に、私が全身の力をこめてこのことをお勧め申し上げ、おそれながら私のお手紙とさせていただきます。

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小川 榮一(日本身体障害者団体連合会会長)

小川 榮一(日本身体障害者団体連合会会長)

 両陛下のおかげで障害者福祉が大きく前進

 ただ今ご紹介に預かりました日本身体障害者団体連合会会長の小川榮一でございます。一言、天皇皇后両陛下に対し感謝の言葉を申し述べたく存じます。

 日本身体障害者団体連合会が昭和33年に創立して以来、障害者福祉に関わってはや五十年が経ちました。その間、なかなか障害者に対する社会の理解が進まず胸の痛む思いをしてきましたが、そんな私共を一貫して支えて下さったのが、天皇皇后両陛下でした。正確に申し上げれば、両陛下のおかげで障害者福祉が大きく前進したと言っても過言ではありません。

 どういうことかと申しますと、障害者に対する社会の見方が大きく変わる契機となったのが、昭和39年、東京オリンピックにあわせて開催されたパラリンピックでした。

 障害者がスポーツを通じて交流を行うこの世界大会が初めて日本で開催された際に、皇太子同妃両殿下であられた両陛下は、連日会場を廻られて選手を激励し、大会終了後は東宮御所に関係者を招かれて労われました。

 その際、陛下は、こうお述べになりました。

 「日本の選手が病院や施設にいる人が多かったのに反して、外国の選手は大部分が社会人であることを知り、外国のリハビリテーションが行き届いていると思いました。このような大会を国内でも毎年行ってもらいたいと思います」

 この御言葉がきっかけとなって昭和40年から毎年、国民体育大会にあわせて身障者スポーツ大会が開催されるようになったのです。この大会のおかげで、閉じこもりがちであった身障者たちが施設の外に出てスポーツに取り組むようになり、「障害があってもやればできる」という勇気と自信を持てるようになりました。

 家族もまた、その姿に励まされ、支えられてきたのです。スポーツを通じ、社会参加の助長と、障害や障害者に対する社会の理解が深まったことが、今日の障害者福祉向上の原動力にもなりました。

 さらに両陛下は、地方行幸啓に際して障害者施設をご訪問になっていらっしゃいます。おかげで、どちらかというと閉鎖的だった障害者施設も社会の脚光を浴びるようになり、国民の優しさが障害者に伝わるようになりました。

 数年前、園遊会にお招き戴いたときも、「障害者の皆さんはどうですか」と質問があり、「皆、明るく頑張っております」とご返答申し上げたところ、「障害者のため頑張ってほしい」と、ありがたい御言葉を賜りました。

 ハンディーがあっても国民の一人として尊重して下さり、障害者とその家族・関係者に、勇気と自信を与えて下さっている皇室こそ、日本の素晴らしい国柄を代表されていると思っております。

 これまでの両陛下のご活動に感謝申し上げるとともに、両陛下の御健勝を心よりお祈り申し上げます。

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小串 和夫(神社本庁常務理事・熱田神宮宮司)

小串 和夫(神社本庁常務理事・熱田神宮宮司)

 奉祝 天皇陛下御即位二十年

 今上陛下におかせられましては本年、御即位満二十年をお迎えになられました。

 来る十一月十二目には政府でもお祝いの式典が催されます。「即位式」が行われたこの日に、皆様とともに陛下の御即位二十年をお祝いできますことは誠におめでたく、心からお慶びを申し上げます。

 しかしながら「内、平らかに、外、成る」この二十年は、我が国はもとより、世界的に見ても激動の連続だった、と言えましょう。

 地震などの大規模自然災害、またテロによる国際的な紛争が頻発するなど、常に国民の幸せと世界の平和を願っておられる陛下の大御心に思いをいたすとき、私共の小さな胸が痛みを覚えます。

 そんな中にあっても、今上陛下は皇居内の水田で毎年変わることなく、御親らその年のお初穂を丹精込めてお作りになり、伊勢の神宮の十月十七目に執り行われる神嘗祭にお供えになります。また、十一月二十三目には宮中で神々に新穀をお供えになり新嘗祭が執り行われます。こうした宮中での多くのお祭りで陛下は常にご祖先や神々に深い感謝を捧げられ、また国の繁栄と安泰とを祈念なさっておられるのであります。

 熱田神宮の鎮座する当地愛知県へはこれまでたびたび行幸啓いただいておりますが、特に平成三年、平成十七年に両陛下お揃いで当神宮へ御参拝を賜りましたことは感慨一入でございました。多くの奉迎者がお迎え申し上げる中、御料車が境内に御参入、瑞垣御門内の御本殿前、御浜床にお進みになられ御親拝遊ばされました。大前で奉迎する当神宮総代、その他の者に親しくお言葉を頂戴いたしたこと、更に便殿では御先導申し上げた私どもに謁を賜り、「滞りなく参拝が出来嬉しく思う。熱田神宮の奉護、大変と思うが、皆健康に留意して奉仕するように」との優渥なるお言葉を頂戴いたしたこと、この上ない幸せでありました。

 また、熱田神宮では来る平成二十五年に御創祀千九百年をお迎えすることから、その記念造営事業として本殿他諸施設を整え、本殿遷座祭をこの十月にご奉仕申し上げましたが、その折にも陛下より、「御造営の資」として賜金を頂戴し、各宮家或いは旧皇族方からもお供えを賜ることとなりました。こうした両陛下はじめ皇族方の熱田神宮にお寄せ下さる御崇敬は、もとより御神体「草薙御剣」の御神威のなせるところであり、誠にありがたい極みでありました。

 天皇皇后両陛下のお姿、お言葉、麗しい笑顔に私共はどんなに勇気を与えられ励まされたことかはかり知れません。

 これからも両陛下には御身健やかに大坐しますよう心よりお祈り申し上げ、ここに謹んで御祝詞申し上げます。

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小野田 町枝(日本女性の会会長)

小野田 町枝(日本女性の会会長)

 わが家の宝物

 御即位満二十年の佳き日をお迎え、心よりお慶び申しあげます。

 ここにわが家の宝物があります。十七年前の新聞です。平成四年十一月十四日付けの、セピア色に変色した産経新聞の一面真ん中に掲載された大きな写真が目をひきます。

 その前日、夫の小野田寛郎とともにお招き戴いた赤坂御苑での秋の園遊会の模様が報道されています。

 この日、私達は初めて天皇皇后両陛下にお目にかかることができたばかりか、陛下のお言葉を直々にいただくというこの上ない栄誉にあずかりました。

 さわやかな秋晴れの下、私は、夫の隣に身を固くして控えておりました。

 周囲には「時の人」が顔をそろえていました。宇宙飛行士の毛利衛さん、バルセロナ五輪で金メダルに輝いた十四歳の岩崎恭子さん、マラソンで銀メダルの有森裕子さん……。

 やがて皇族の方々と苑内を歩いてこられた両陛下は、私達の前で足を止められました。そして陛下は、にこやかに話しかけて下さいました。

 「フィリッピンでは、ご苦労さまでした」。戦後三十年ぶりにルバング島から生還してすでに十八年。七十歳になった元陸軍少尉の夫は、背筋をピンと伸ばして、直立不動のままでした。

 慈愛に満ちた皇后様の微笑みが、あたりを和やかに包みます。

 あまりにも畏れ多くて私は、まともに顔をあげることはできませんでした。

 しかし陛下のひとことひとことは、今でもはっきり記憶しています。

 「ブラジルの牧場はいかがですか」

 「青少年育成に、自然塾をなさっておられるとのことですが、頑張って下さい」

 異国の島から生還して、ふた昔にもなろうというのに、一国民に対して、このような暖かいお言葉をいただくなんて、ありがたいかぎりです。

 日本人であることの誇りと、しみじみと感じた瞬間でした。

 陛下は、常日頃から国安かれ、民安かれとお祈り下さっております。誠にありがたいことでございます。

 「日本女性の会」も、微力ながら、日本の国づくりのお手伝いをしています。目指すもののひとつが、先ず「日本の家庭を築こう」です。

 日本の歴史や伝統を大切にする身心ともに健やかな家庭が、日本全土に広がったら、どんなに素晴らしいことでしょう。

 この誇りある国を、さらに成長させることこそ、大御心におこたえする道だと決意いたしております。

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加藤 日出男((財)根っこの家理事長)

加藤 日出男((財)根っこの家理事長)

 「若い根っこの会」をお励まし戴いた感動

 はじめて直接、天皇陛下にお言葉を賜ったのは、陛下が皇太子殿下時代の昭和四十九年十月三十日、赤坂御苑での園遊会の時でありました。

 晴れ渡る御苑で宮内庁の方が「総理府青少年問題審議会の加藤さん、おられますか」と言われ、「はい」と大勢の中から手をあげると、高さ十センチほどの紫色の布で覆われた小さな台の上に立たされました。

 「天皇陛下は十メートル程先の台に立つ曾野綾子さんとお話しをされます。加藤さんには皇太子殿下がお話しになりますから」と。全く突然のことで私はこの上もなく緊張した。

 「長いこと若い根っこの会を続けられ、ご苦労でした。草創期の若い人達と今の若い人達との思考の違いなどいかがですか」。総理府の審議会代表で招かれたのに、殿下はきちんとお調べになられ、「若い根っこの会」についてご下問賜ったことに感動、一番汗を流してきた体験の中から自然にお答えできた。「これからも若い人達のため一層励まれますよう期待します。ごきげんよう」。殿下の最後のお言葉は、ただありがたく、よく覚えていない。その時私は四十歳、まさに少年の熱き魂にふるいたった。

 それから二十年後、殿下は御即位されて、平成六年十月十九日、今度は若い根っこの会会長として赤坂御苑の園遊会に招かれた。宇宙飛行から帰られた向井千秋さんと、陛下はお言葉をかわされた。会が終わって青竹でふさがれた東宮御所につながる道のあたりに各県知事や国会議員が列をなして陛下をお見送りする場面に出くわした。陛下と、皇族方もお並びになり、その人波にお手を振られた。その時、陛下は人波に居る私に視線を向けられ、つつっと、皇后様も御一緒にお近づきになり、私の胸の名刺を確認され、庶民の言葉ならさしずめ「やっぱり」というようなお言葉の後、「若い根っこの会の加藤さん。時代が大きく変わり、現代の若い人たちの気持ちを掬い上げて活動するのは困難でしょうが、今こそ大事なお仕事。ご苦労さま。ごきげんよう」。そのお言葉に感動し、「一所懸命がんばります。陛下のご健勝をお祈りいたします」とお答えするのがやっとだった。二十年の歳月の空白があり、しかも数分の会話をした私をなぜご記憶くださっていたのか。あれから十五年の歳月が流れたが、あの日の感動は私の血肉となっている。

 すでに故人となったが、私の尊敬した元代議士から、その朝、電話があり「昭和天皇時代と園遊会がどう変わったか、その印象を教えてくれ」と頼まれ帰宅するなり、この突然の出来事を伝えると、「それが外国の国王たちの帝王学との違いだよ。陛下は一般から選ばれた一人ひとりについて勉強して園に出られるのだ。まさに天皇学といっていい」と言われた。

 ただ一つ返す返すも残念なことは、四十年の歳月をかけて一万八千人近い人数が参加者した、サイパン洋上大学によって建立した慰霊碑を、陛下がサイパンご訪問の際に現地でご案内できなかったことである。

「どんな気持で波間に消えた/時代は遠くはなれても/なんでむなしく忘らりよか/風も泣きますバンザイクリフ」。旧「にっぽん丸」から現「ふじ丸」まで、三十九回続けたグアム・サイパン南十字星・慰霊の洋上大学。バンザイクリフに建つ慰霊碑には、自作の詞、三橋美智也作曲・唄でキングレコードから出ている「サイパン小唄」の最終章の一節が刻まれている。いずれこの愛国の曲のテープを万難を排して、陛下にご試聴賜りたいと願う次第である。

 票思う心あれど国思う心なき時代ゆえにこそ、用船してすべての私財を投じてきた洋上大学。私は今、八十歳の成人式を終えたばかり。近年のうちに第四十回記念のグアム・サイパン南十字星・慰霊の洋上大学を実現したい。

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金子 万寿夫(鹿児島県議会議長)

金子 万寿夫(鹿児島県議会議長)

 苦難を国民とともに

 天皇陛下におかれましては、本年をもって御即位二十年をお迎えになられましたことは誠に慶賀に堪えないところであり、心よりお祝い申し上げます。

 平成の二十年間を顧みますと、バブル経済の崩壊に端を発した経済不況、雇用情勢の悪化、更には、阪神・淡路大震災をはじめとした日本各地における地震や大規模自然災害が多く発生するなど、困難な事態もございましたが、その中にあって、陛下におかれましては、常にその苦難を国民とともにされ、国民の幸せを祈念されてこられました。

 そのことは、御即位後十五年間で四十七都道府県すべてを行幸され、障害者や高齢者の福祉や医療の現場などのご訪問、産業施設のご訪問などの地方事情のご視察や被災地へのご慰問等により、多くの国民を励まし、労い、勇気づけられましたことに象徴されており、深く感謝申し上げるものであります。

 また、先の大戦における戦没者の追悼やその遺族に対する慰問のため、沖縄をはじめ、広島、長崎などの各地に慰霊のご訪問を重ねられました。

 更に、世界平和を希求され、世界各国をご訪問の上、友好親善の増進にお力を尽くされました。

 私どもは、こうした陛下の常に国民の幸福と平安に深く御心を砕かれるお姿に深く感謝の意を奉げるものであります。

 現在、我が国は、多くの課題を抱えておりますが、陛下の国民を思う御心に沿うべく我々は、地域住民の福祉の向上のため最大限の努力を傾注してまいる所存でございます。

 天皇皇后両陛下の益々のご健勝と皇室の弥栄をお祈り申し上げ、お祝いの言葉を奉げます。

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上村 和男((社)国民文化研究会理事長)

上村 和男((社)国民文化研究会理事長)

 天皇陛下御即位二十年に思ふ

 内外に御稜威輝くたひらけし平成の世をひたに祈りぬ

 大君の御歌御言葉畏みつ御国の為に盡し生きなむ

 天皇陛下の御即位二十年を奉祝申し上げると共に御長寿をご祈念申し上げます。

 時恰も、「政権交代」となり期待と不安が交錯する社会情況となつた。

 そこで最も危惧される一つは、「皇室典範」の改正の動きである。小泉総理時代のやうに皇室の御存在を無視して政治的決着を計るべきでないし、万が一、「女系天皇」の実現となると、肇国以来の「万世一系」の皇室の伝統が失なはれ、日本人の依拠する家族の紐帯が失なはれかねない。それによつて、日本の文化・伝統が日本人の心から喪失することにならないとは限らない。

 皇室と国民は歴史的にも目に見えぬ「君臣の情」によつて結ばれてゐるのであつて、それを育んで来られたのが皇室であつたのではなかつたか。皇室は国民を我が子を憶ふ心で慈しみ、国民はその御心にお応へし、皇室を尊崇して止まず、国を憶念し、国に献身するといふ人間としての誠の道が形成されて来た歴史的に大きな意義があつた。

 占領政策によつて皇室を尊崇すること祖先を敬ふことが、自由と平等を主体とする民主主義に反することで社会生活の中で、アナクロイズムとして消されてしまつた。それを今度は日本人の手で消し去らふといふことは許すことはできない。

 日本人が「君臣の情」を心に呼び戻すには歴代の天皇の御製を拝誦して心を通はせて天皇の御心を憶念する以外に手立てはないと思ふ。

 天皇皇后両陛下は、昭和天皇の御遺志を継承され今次の大戦の激戦となつたサイパン島・硫黄島と巡礼の旅に立たれ、数々の御製御歌を詠まれてゐる。その中で左記の御製と御歌を拝誦することで天皇陛下御即位二十年の奉祝に心を通はせ平成の御世の弥栄を御祈念奉ります。

 サイパン島訪問

サイパンに戦ひし人その様を浜辺に伏して我らに語りき

あまたなる命の失せし崖の下海深くして青く澄みたり

 サイパン島(御歌)

いまはとて島果ての崖踏みけりしをみなの足裏思へばかなし

硫黄島にて

精根を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき

戦火に焼かれし島に五十年も主なき蓖麻(ひま)は生ひ茂りゐぬ

硫黄島にて(御歌)

慰霊地は今安らかに水をたたふ如何ばかり君ら水を欲りけむ

 この両陛下の戦死者をお偲びになる御心は「肉親の情」さながらの御心の表現といふべきでせう。

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川淵 三郎(元日本サッカー協会会長)

川淵 三郎(元日本サッカー協会会長)

 陛下に良い報告を申し上げたい

 天皇陛下御即位二十年奉祝委員会の設立まことにおめでとうございます。世界に日本サッカーを発信されたサッカー協会の名誉総裁は故高円宮憲仁親王殿下で現在は、高円宮妃久子殿下にお願いしております。またサッカー協会の旗のシンボルは三本足の八咫烏で、神話では神武天皇の道案内をしたということで、そのような皇室にまつわるご縁からお祝いの言葉を申し述べる機会を与えられたところと推測しております。

 天皇陛下は教育についてはもとより、スポーツが青少年に与える影響についても、深いご関心をお持ちで、常に励ましのお言葉を賜っております。

 サッカー界に限って言えば、二〇〇二年日韓ワールドカップの際、その成功のためにと日本と韓国の皇室の歴史的な繋がりについて、韓国の人たちの心に響くお話をされました。日本代表チームに関しては、二〇〇二年ワールドカップ直前に行われた、スウェーデンとの強化試合を国立競技場でご覧頂き、試合終了後、選手一人ひとりに直接激励のお言葉を賜りました。ブラジルとドイツの決勝戦にはご臨席を賜り、ワールドカップは一層の盛り上がりをみたわけでございます。

 また二〇〇六年のワールドカップ・ドイツ大会の際には、大会に出発する直前、ジーコ監督、宮本キャプテン、中田英寿、中村俊輔、川口能活の選手などを皇居にお招き下さり一時間余りにわたって和やかな雰囲気の中でお話をさせて頂きました。その時に、天皇陛下が「楽しみながらプレーをすることが一番大切」と仰ったお言葉に、全員が深い感銘を受けました。

 現在二〇一〇年南アフリカ・ワールドカップに向けて、予選リーグを戦っておりますが、明日は四十度の酷暑のオマーンで三次リーグの試合を戦います。これを突破すると、九月から来年六月までの長期に亘る最終予選リーグが始まります。これを勝ち抜いて本大会出場決定という、良い報告を天皇陛下にお届け出来ますよう、我々はがんばって参ります。

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黒住 宗晴(黒住教教主)

黒住 宗晴(黒住教教主)

 天照大神、御歴代の御心とともに

 皇后陛下が皇太子妃であられたとき、「皇室は祈りでありたい」と仰せになって、その祈りの最たるものとして元寇の役における亀山天皇の御祈りと、混迷を深めた江戸時代末期の孝明天皇の御祈りを挙げられたそうです。

 このことを、かつてある先輩から教えられて、私は心底感動いたしました。

 天皇皇后両陛下の祈りの御日々、この御祈りを象徴するような御姿を、先年訪ねられたサイパン島のいわゆるバンザイ岬に、私たち国民は拝み奉りました。そこには、私ども世にいう宗教者の祈りをはるかに超えた清しくも気高いものが満ちていました。テレビに写し出される、頭を深く垂れて祈り続けられる両陛下に手を合わせながら、多くの国民が共に英霊のご平安を祈り、同時に、天皇陛下皇后陛下を戴く日本国民の一人としてある自身の幸せをかみしめたことでした。

 その昔、明治天皇は、ご幼少の江戸末期、御父君孝明天皇の御身を焦がすような日々の御祈り、就中、蛤御門の変のときの御祈りも共にされていたと伺ったことがあります。それだけに、多くの御製に込められた敬神崇祖の御心は格別のものを感じます。

 とりわけ、終戦直後の昭和二十年九月二十七日、先帝昭和天皇が連合国最高司令長官D・マッカーサー元帥に御会見のときの御言動は、まさに祈りの権化といえましょう。マッカーサーをして“我、神を見たり。と言わしめたのも、すべて祈りから生まれる大御心のなせるものと拝察します。このときに始まると申しても過言でないと思いますが、昭和天皇の全国御巡幸、その中で唯ひとつ叶えられなかった沖縄県への御幸。御父君先帝の御心そのままに、沖縄に捧げ続けられる祈りと熱き御心の今上陛下皇后陛下に、どれほど多くの国民が心清められていることでありましょう。それは、亀山天皇、孝明天皇と全く軌を一にする大御心と拝します。

 このように、大御心の尊き有り難きことに思いを致すとき、改めて伊勢皇大神宮のご存在が大きく強く迫ってまいります。

 申し上げるまでもないことですが、平成二十五年には、第六十二回の式年遷宮が斎行されますお伊勢様です。

 天皇陛下、一聖一代の大嘗祭という祈りの極致を、伊勢の皇大神宮に捧げられるときに始まる、天照坐皇大御神と御同徳御同座の祈りの御日々こそ、この二十年間貫かれてきたまさに無窮の大御心と確信します。

 改めて、天皇陛下皇后陛下の御聖寿の萬歳と皇室の御弥栄を心よりお祈り申し上げます。

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高坂 節三(元経済同友会憲法問題懇談会委員長)

高坂 節三(元経済同友会憲法問題懇談会委員長)

 「森」の御製を拝す

 「いにしへの 人も守り来し 日の本の 森の栄を共に願はむ」この御製は、今上天皇の御成婚を祝し、皇居の前に作られた和田倉噴水公園の入り口の石碑に刻まれている。ご即位も間もない、平成三年の歌会始めに歌われた、この御製のお心を忖度することはできないし、畏れ多いことでもあるが、私なりの解釈を記させていただきたい。

 一つには、森の持つ森厳性、崇高性を意識されたのではないかということである。山川草木すべてに神が宿るという日本古来から受け継いできた精神が森に宿っており、この精神こそが日本人の心の原点にあるとお考えになり、鎮守の森に思いを寄せられたのではなかったか。

 二つには、森の持つ自然性、永続性、永遠性であろう。さきの大戦後のご苦労を身近にお感じになり、それにも拘わらず、みごとに復興を遂げてきた日の本の国が、これからもいやさかに栄え続けて欲しいとのお考えがおありになったのであろう。造林という言葉はあるが造森という言葉はない。森の自然性と永続性、森を作っている個々の樹木は時と共に枯れ衰えていくが、それに替わる新しい樹木が自然に育ってくる、この森の永遠性を望まれたのであろう。

 陛下という一層大切なお立場にたたれ、まずお考えになったことは、連綿として続いてきた日本の歴史であり、これからの繁栄であって、そのお気持ちが、いにしえより守られてきた日本の森に託して歌われたような気がするのである。

 「国民とともに」という陛下のお気持ちは、この歌のさいご「共に願はむ」というお言葉で言い尽くされており、皇后陛下もこのお気持ちを大切にされて、「祈り」の日々をお過ごしになっておられるように思われる。

 ご即位二十年、ご成婚五十年の慶賀すべきこの年に、あらためて両陛下のご健勝と日の本の国の繁栄を心からお祈りさせて頂きます。

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小林 陽太郎(富士ゼロックス株式会社相談役最高顧問)

小林 陽太郎(富士ゼロックス株式会社相談役最高顧問)

 誇るべき日本らしさの象徴

 謹んで天皇陛下の御即位二十年をお慶び申し上げます。また常に国民と共に、国民のためにとの視点からわが日本国国民の心の纏まりの中心にあってご公務にあたられ国内のみならず海外に向っても常に真摯に、謙虚で親しみ易く、しかし凛としたお姿をお示し続けて頂いている両陛下に対し深甚の敬意と感謝を捧げるものでございます。

 私は天皇陛下と同じく昭和八年に生れ、陛下の歩まれて来られた昭和と平成にまたがる七十数年を幼児の時代、少年時代、青年時代、そして社会人となって今日まで私も一市民として生きて参りました。昭和天皇御名代として何度も海外にお出掛け遊ばした若き皇太子殿下時代、また美智子皇后様とのご成婚後の颯爽溌剌たる皇太子、皇太子妃時代、そして二十年前にご即位以来二十世紀最後の十年、二十一世紀最初の十年を含むまことに内外ともに変化の激しい平成の御世の天皇として時折健康問題が報道されるほどの激務を誠実に処理をされ、しかも絶えず笑顔で国民に安心と信頼をお与え頂き続けている今日まで、数限りなくお二人のお姿やお言葉に接する中で私の両陛下に対する敬愛と尊敬の念は時とともに止るところなくその大きさを増しつつあります。

 この間光栄にも何度か東宮御所あるいは宮中にお招きを頂き妻共々お茶をまた夕餐を頂戴したり、私共も存じあげている学者の先生方や音楽家とのご懇談の場にご一緒させて頂いたこともございます。こうした折に常に、私達が感銘を受けるのは何よりも両陛下のお人柄。即ちそのご謙虚さ、奥床しさであり、また歴史、政治、経済、科学、文学、音楽、自然といった広範囲の分野にわたるご関心と大変なお勉強ぶりです。そしてお言葉の処々にうかがわれる“平和を大切に”という静かなうちにも強いお気持に私共がはっとさせられることも度々ございました。

 象徴天皇制と申します。この象徴という言葉は私はこう理解しています。日本国民が長い歴史の中でつくりあげて来た日本文化と伝統の誇るべき点、良い点を両陛下が実際に体現遊ばしておられる。そこから国民の多くが安心と安らぎを得させて頂いている、即ち良き、誇るべき“日本らしさ”の象徴として陛下が居られるのだと。

 私は妻共々、このことを、そしてこうした象徴としての陛下そして皇后様と同じ時代を、その重みは両陛下にとってのものと、私共にとってのものと勿論比べようもございませんが、それでも同じ時代を歩み、生かさせて頂いていることを有難くそして心から誇りに思うものでございます。あらためてご即位二十年を寿ぎ、両陛下と天皇ご一家ますますの弥栄を祈念申し上げます。

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五本 幸正(全国市議会議長会会長)

五本 幸正(全国市議会議長会会長)

 天皇陛下ご即位二十年「奉祝文」

 天皇陛下におかれましては、御即位二十年をお迎えになられましたことを謹んでお祝い申し上げます。

 また、本年は、両陛下の御成婚五十年という誠に慶賀すべき年にあたり、あわせて心からお祝い申しあげます。

 さて、平成の二十年を振り返る時、世界各国では、各種の紛争やテロが相次ぎ、また、国内にあっては政治、経済の混迷に加え、地震をはじめ大規模な自然災害が数多く発生いたしました。その中にあって陛下は、常に国民と苦楽を共にされ、国民の幸福を祈り続けてこられました。

 この間、陛下は皇居での公務はもとより、皇后陛下と御一緒に友好親善のための諸外国御訪問、各般の行事への御出席等休まれることなく、御精励されておられます。

 このような陛下のお姿は、多くの国民の心に強く刻まれております。

 特に全国四十七都道府県への行幸では、民生向上と福祉の充実への取組や地場産業などの地方事情を御視察され、地域の福祉と住民生活の向上に尽力した人々に対し、労いのお言葉をおかけになられておられます。

 さらに、大規模地震災害の被災地への御慰問や、先の大戦で尊い命を捧げた戦歿者や遺族に対しましても深い御心を注がれ、戦災の規模が大きかった沖縄をはじめ、広島、長崎など各地に慰霊の旅を続けてこられました。

 私どもは、天皇、皇后両陛下のお姿に、お言葉に、笑顔にどれほど励まされ、勇気をいただいてきたことか、誠に有難く深く感謝申し上げます。

 本会では、昭和二十八年来、ほぼ隔年ごとに各市の議長が天皇陛下に拝謁を賜り、歴代会長が代表して地方自治への決意を言上してまいりました。

 近年では、地方分権の理念を踏まえ、地域の文化や歴史を尊重しながら活力ある地域社会を創造していく旨を言上いたしております。

 その際、天皇陛下からは、「今後とも市民の幸せのため、また、それぞれの地域の発展のために力を尽くされるよう願っております」とのお言葉を賜っております。

 現下の厳しい社会経済状況の下、天皇陛下から賜りましたお言葉を胸に、私ども全国の市議会議長は、全国各都市の興隆発展に寄与するとともに、我が国の一層の繁栄に向けて日々の努力を重ねてまいる覚悟でございます。

 ここに改めて天皇陛下の御健康と、皇室のいやさかをお祈りいたしますとともに、皇室と国民の親愛の絆がさらに深まることを心から祈念いたしまして、お祝いの言葉とさせていただきます。

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西園寺 昌美(白光真宏会会長)

西園寺 昌美(白光真宏会会長)

 大御心を胸に、世界平和のために

 このたび、天皇皇后両陛下には、御即位二十年をお迎えあそばされ、誠に慶賀の至りに存じます。

 天皇陛下に於かれましては、日々のご公務にお力を尽くされ、国民の安寧と世界の平和のためにお祈りくださいますこと、心の底から有り難く、恐れ多く存じます。

 国内外での行幸、被災地へのお見舞いや福祉施設へのご慰間ほか数々の式典へのご臨席など、多岐にわたるご公務を通し、両陛下のご尊顔、ご姿勢、お言葉に私達が勇気づけられ、励まされていることは申すまでもございませんが、その上に私達は、かくも尊き御稜威とお祈りを、常に両陛下より戴いていることに、深甚なる感謝を捧げるものでございます。

 私も宗教家の一人として、そのような尊きお祈りが、来る日も来る日も行なわれているということが、いかに勿体なく、尊く、有り難きことかを少なからず存じ上げているつもりでございます。そして、日本国と日本国民続合の象徴であられる天皇皇后両陛下が、まさしく祈りの存在であり、我々は常にそのご神光に包まれているということを、この記念すべき御即位二十年に際し、国民一人一人に知っていただきたいと、強く念願するものであります。

 また、私は琉球王家とゆかりのある者でございますが、両陛下に於かれましては、常に沖縄に対して深いご厚情を賜り、特に国の安寧のため儀性になった方々にはお心をかけていただき、そのことを誠に勿体なく思っております。天皇皇后両陛下が、国を支える国民一人ひとりと真摯に向き合われて、すべての人を温かくお見守りくださっていることを思うたびに、深い感謝の念が湧き上がってまいります。

 尊く勿体なく有り難い両陛下を日本の象徴として戴いた私達だからこそ、出来ることがあると私は考えております。即ち、大御心を胸に、一人ひとりが意識を結集して、世界平和のために立ち上がることが出来るのではないかと思っております。意識改革の潮流は、まさに平和への誓いから始まるものであります。私も世界平和のために、一身を投げ打って邁進する所存です。

 天皇皇后両陛下のご聖徳に深く感謝いたしますとともに、皇室の弥栄を心よりお祈り申し上げます。

 世界人類が平和でありますように

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齋藤 栄嗣(宗教法人神霊教理事長)

齋藤 栄嗣(宗教法人神霊教理事長)

 「君が代」の祈り

 本年は天皇陛下御即位満二十年を迎え、しかも、天皇皇后両陛下の御結婚五十年に当たる、まことに慶賀すべき年であります。

 天皇陛下はこの二十年間、ご多端なご公務を担われると共に、全国四十七都道府県をくまなくご訪問になられ、民生向上や産業振興へのご視察、地震などの自然災害の被災地へのご訪問を続けられ、特に災害規模の大きい地には現地事情が許す限り御自ら赴かれ犠牲者を悼み、被災者を慰め、救援活動に携わる人々を励ましてこられました。

 また、両陛下は毎年『こどもの日』には、東京近県の小学校や幼稚園、保育所、児童福祉施設などをご訪問になられ、次代を担う子供たちの健やかな成長を願っておられます。さらに、障害者、高齢者の福祉や医療への支援、先の大戦で国のために尊い命を捧げた戦没者への追悼と遺族へのいたわりなど、常に人々の幸福と平安に深く御心をそそいでおられます。

 今上陛下のご発言の中で特に強く印象に残ったお言葉がございます。一つは「天皇の歴史というものを知ることによって自分自身の中に皇族はどうあるべきかということが次第に形作られてくるのではないか。」というお言葉、もう一つは「私の皇室に対する考え方は、天皇及び皇族は、国民と苦楽を共にすることに努め、国民の幸せを願いつつ務めを果たしていくことが、皇室のあり方として望ましいということであり、また、このあり方が皇室の伝統ではないかと考えているということです。」というお言葉です。

 御即位以来のご事績を拝しますに、今上陛下は、まさに、国民と苦楽を共にすることに努められ、国民の幸せを願いつつご公務を果たされることに徹しておられます。

 昨年十二月十九日に天皇陛下御即位二十年奉祝中央式典が盛大に開催され、100カ国の外国の大使等をはじめ、国内外から四千名が出席される式典に、神霊教を代表して出席させていただき、皆様と共に、陛下の御即位二十年をお祝いさせていただきました。

 式典が始まり厳粛な空気が漂い参加者全員が起立し、日の丸の国旗に向かい『君が代』を斉唱させていただきましたが、あの時の感動はいま思い出しても、心の底から日本人の血が騒いだことを記憶しています。

 『君が代』の三十二文字の中に私たちの先祖が、天皇の御代がいついつまでも栄えるようにとの思いを込め、また、代々の天皇陛下は、日本国民を愛し、国民の幸せと日本国の発展を祈ってこられた歴史があることを、あらためて感じました。

 ほんの一分に満たない短い時間でしたが、日本の国に生まれて日本人であることの感動に浸れたひと時でした。

 天皇陛下と日本人は長い歴史の中で強い絆で結ばれていると思いました。

 有史以来、連綿として続いて来た皇統の素晴らしさを思うと、昭和の変化に富んだ時代を引き継がれ、第百二十五代天皇に即位なされた今上陛下の御世が末永く続き、日本及び日本国民がいつまでも平和で栄えるようにと祈ってやみません。

 天皇陛下御即位二十年を心より御慶祝申し上げます。

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桜井 正光((社)経済同友会代表幹事)

桜井 正光((社)経済同友会代表幹事)

 持続的な成長と活力ある国づくりへの誓いをこめて

 天皇陛下ご即位二十年、誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。

 宮中ご公務のほか、皇室外交を通じた各国との友好親善関係の増進や、障害者・高齢者施設や災害被災地の行幸啓は、日本の国家および国民にとって、ほかには代えがたいものであります。

 両陛下の慈愛に満ち溢れた笑顔やお言葉に、どれほど多くの国民が慰められ、勇気を頂くことができたかを考えますと、はかり知れないものがあり、感謝に堪えません。一国民として深く御礼申し上げます。

 経済界の代表の一人として、今年も社会・経済情勢につきご説明させていただきましたが、両陛下からは雇用や地方経済の状況と見通しについて多くのご質問を頂きました。これも、両陛下が直接各地を回られ経済情勢の悪化を肌でお感じになられ、国民の生活について深く心配され、心を痛められていらっしゃるからでありましょう。

 思えば、この二十年の日本経済は、バブル経済の崩壊から始まり、昨年来の世界同時不況と、厳しい状況が続いております。両陛下にはご心労の多き二十年であったのではとお察しいたします。経済界に身を置くものとして責任を感じるところでございます。

 我々国民をいつも温かくお見守り頂いている両陛下に対してあらためて御礼を申し上げるとともに、経済界の代表の一人として、日本の持続的な成長と活力ある国づくりに向けて、今後も全力を尽くすことをお誓い申し上げます。

 最後になりましたが、天皇皇后両陛下のご健康と皇室の末長いご繁栄を心よりお祈り申し上げ、ご即位二十年のお祝いの言葉とさせて頂きます。

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笹川 吉彦((社福)日本盲人会連合会会長)

笹川 吉彦((社福)日本盲人会連合会会長)

 吹上御所の思いで

 天皇陛下御即位二十年誠におめでとうございます。心からお慶び申し上げます。常に国民の幸せを皇后陛下とともに念じられるお姿を拝し、感激とともに心からの感謝の念が沸き上がってまいります。

 私がはじめて両陛下にお目にかかったのは昭和四十六年の五月二十日で、両陛下がまだ皇太子殿下、同妃殿下の時でした。全国盲人の悲願であった日本盲人福祉センターが落成し、それを記念して日比谷公会堂で開催された第二十四回全国盲人福祉大会のおりでした。参加者は会場にあふれ、入場できなかった会員は会場の外でスピーカーを通して場内の模様を伺うほどの盛況ぶりでした。

 二度目にお目にかかったのは、平成十年五月二十一日に東京丸ノ内の国際フォーラム大会議場で開かれた、本連合結成五十周年記念第五十一回全国盲人福祉大会のおりでした。宮内庁に記念大会ということで御臨席をお願いしていたところ、四月に入って宮内庁から来庁するように、とのご指示があり車が差し向けられました。村谷前会長と私、そして牧田情報部長とが介助者とともに伺ったところ、車は宮内庁の建物を通り越してどんどん皇居の奥に進み、何箇所かのチェックを経たのち、何と車は吹上御所に着きました。唖然としているうちに、職員に導かれ御所内に入り控室で小休止ののち、奥の応接室へと案内されました。私たちが案内されました部屋は、テーブルを挟んで八人が座る部屋でした。お待ちしていると両陛下がごく自然にお声をかけられながら入ってこられ、御着席になられました。畏れ多いことですが、ちょっと手を伸ばせば届くほどの距離で恐縮してしまいました。両陛下は本連合の成立や当面抱えている障害者問題など、幅広くお尋ねになり、皇太子殿下、同妃殿下当時に御臨席頂いた日比谷公会堂での思い出など色々とお話下さいました。

 大会当日は全国から五千人を超える会員並びに家族や関係者が会場を埋めつくし、熱気にあふれていました。第一部の式典では、天皇陛下から御祝いと御激励の御言葉を賜りました。参加者一同感激の一時でした。特に「冬季パラリンピックで視覚障害者競技としてバイアスロンを例にあげられ、電子音響照準装置の開発によって競技を行えるようになったものでありますが、このことは科学技術の応用が障害者の活動範囲を広げ、その成果を豊かにするために大きく寄与し得ることを示しております」との御言葉には皆感動しておりました。分刻みといわれる御公務御多端な中、全てのことについて気配りをされておられるお姿に、国民の一人として感謝の念を抱いております。

 畏れ多いことながら、私も陛下と同年の昭和八年十二月生まれで、子供の頃から人一倍親しみを感じており、目の見えていた頃は新聞や雑誌に陛下の記事や御写真が掲載されていると、真っ先に拝見しておりました。一時、御健康を害されておられた頃は大変気掛かりでしたが、すっかり健康を快復され、東奔西走のご多忙な日々をお過ごしの御様子をテレビやラジオで耳にする度に、いつまでも御元気で我が日本国の象徴としてその重責を果たされんことをひたすら願っております。

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末吉 将祠(霊友会代表役員 総務理事)

末吉 将祠(霊友会代表役員 総務理事)

 激動の時代を国民とともに

 天皇陛下におかれましては、御即位二十周年をお健やかにお迎えになられましたこと、衷心(ちゅうしん)よりお慶び申し上げます。さらに本年は、ご成婚五十年という慶賀すべき年でもあり、私たち国民にとりましても誠に喜ばしい限りでございます。

 陛下は、大戦後の混乱・復興、経済の高度成長、労働争議、学生の反政府運動、東京オリンピック、公害・薬害訴訟、バブル崩壊、阪神淡路大震災他の自然災害、金融危機に起因する倒産や失業等々と続いた激動の時代を、ひたすら国民にお心を寄せられ、国民と共に歩んで来られました。

 皇居での各種儀式・行事を始め、国内はもとより海外各地への行幸など、いささかもお休みになることなくご公務にご精励になり、一貫して陛下が『国民の幸せと世界の平和』を願っておられますことは、国民が周知するところであります。特に、天皇ご即位以後は皇太子殿下時代の何倍もの忙しさと責任を担われ、お心の休まる暇(いとま)もなかったのではないかと拝察申し上げます。

 ご即位以来、父君・昭和天皇の果たせなかった沖縄ご訪問を始め、国民体育大会、全国植樹祭などで全都道府県を訪れ、国民とのふれあいを持たれました。特に大規模自然災害では、被災者たちに直接慰めと励ましのお言葉をおかけになり、人々の心に希望の火を灯されました。

 わが皇室は、百二十五代、二千年以上にわたり連綿と皇位が継承されてきた世界に比類なき存在であります。日本の長い歴史の中に到来した数多(あまた)の難局の大半は、天皇陛下が在(ましま)してこそ克服できたものと確信しております。国民の希望と統合の象徴であられる天皇陛下を推戴する日本国民として生を享けましたことは、私たち国民にとりまして無上の喜びであります。

 昨年秋より、様々な形で「天皇陛下御即位二十年奉祝行事」が全都道府県で行われており、来る十一月十二日には政府主催の記念式典に併せて、民間主催の「天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典」が開催されますことも喜ばしいことであります。

 天皇皇后両陛下とご皇室に対する「崇敬と敬愛の念」を新たにいたしまして、陛下のご健勝、ご皇室の益々のご繁栄を心よりお祈り申し上げます。

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住母家 岩夫(NPO法人持続型環境実践研究会会長)

住母家 岩夫(NPO法人持続型環境実践研究会会長)

 天皇陛下御即位二十年を奉祝して

 天皇陛下におかれましては御即位二十年を迎えられ、まことに慶賀至極に存じ、心よりお慶び申し上げます。さらに天皇皇后両陛下におかれましては、御結婚五十年の御年でもあられまして二重のよろこびに国民等しく慶賀にたえません。

 御即位十年の奉祝を申し上げましたことが、つい昨日のことのように思われます。早いものであの日から十年が過ぎました。この間、両陛下の大御心により、皇室と国民の紐帯がますます強まったことを奉謝の念と共に確信する次第でございます。

 さて、私事になりますが先日、家の中を整理しておりましたら丁寧に梱包された桐の箱が出てまいりました。開けてみますと御成婚当時あるいは御婚約時代と思われます、テニスのユニホーム姿でベンチに腰をおかけになられた両陛下のお姿を刷り込んだ皿でございました。

 時の経つのを忘れてその神々しい御写真を拝見しておりますと、半世紀前の御大婚の御様子が彷彿として参りました。

 昭和三十四年四月十日。当時、私は中学一年生でした。家族と一緒に、あの華やかな馬車パレードの模様をはじめ一連の行事をテレビの前に、釘付けになって観ていたときの感慨が改めて呼び起こされました。

 昭和六十四年一月七日、昭和天皇崩御の後、直ちに践祚され、以来二十年間、陛下には常に国家国民の安寧を願い、まさに国民とともに歩んでこられました。ことに全国四十七都道府県を隈なく御巡幸されましたことは日本国民に連帯感を育み、世界に冠たる国家を築く礎となったことと存じます。

住母家 岩夫(NPO法人持続型環境実践研究会会長)

 二十年の間には悲しい出来事もありました。阪神・淡路大震災をはじめ新潟県中越地震等、いくつかの自然災害にわが国土がみまわれることがありました。そうした折、天皇皇后両陛下には先頭に御立ちになって被災地を御慰問され、一日でも早く災害から乗り越えられるよう被災者たちを等しく元気付けてこられました。その尊い御姿を目の当たりにするたびに、奉謝の念で胸がいっぱいになりました。

 この御即位二十年の奉祝文を認めるに当り、沁み沁みと、その様な気持ちに包まれました。

 御即位二十年は一つの区切りであります。皇室の弥栄を心から御祈念申し上げつつお祝いの言葉とさせて戴きます。

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関口 慶一(佛所護念会教団代表役員)

関口 慶一(佛所護念会教団代表役員)

 御皇室を範と仰ぎ奉りて

 天皇陛下御即位二十年の慶賀すべき年にあたり、謹んでお祝い申し上げます。

 天皇陛下におかれましては、日々、国事行為や宮中祭祀など数々のご公務に勤しまれる傍ら、皇后陛下とご一緒に全国を行幸啓あそばされ、多くの国民と親しく接せられて、あまねく慈愛の御心を注いでおいでになります。国家の安泰と国民生活の安寧のために常に心を砕かれ、寸暇を惜しまれて各地の福祉・文化・産業施設をご訪問になり、また災害地域を訪れて被災した方々をご慰問されるお姿は、まさに日本国民統合の象徴としてのお務めを御身をもってお示しになっているものであり、拝見するにつけ感謝と崇敬の念を禁じえないところでございます。

 また公務ご多端の中にも、学術研究の成果を優れた論文として発表され、四季や折々につけ和歌を詠じられるなど、皇室のお持ちになる学問や芸術に対する伝統的精神を堅持されていることも、国民が敬愛してやまない根源なのだろうと拝察申し上げる次第でございます。

 振り返りますれば、今日の日本は先の大戦の荒廃から奇跡の復興を遂げ、世界有数の豊かさを享受しております。その一方におきまして、家庭の和合や、祖先の崇敬、周囲への思いやりや慈悲の心など、古来より日本人が大切にしてきた価値観が薄れてきており、それが現在の世相や様々な出来事に反映しているように思えます。

 私共は、百二十五代の長きにわたり日本の国柄を護持してこられたご皇室を範として、本来日本人が持っている心の豊かさを取り戻し、国民一人ひとりが真に幸せを実感できるような国づくりのために、異体同心となって取り組んでまいる所存です。そして、日本が政治・経済・文化など各方面において充実した国であり続け、また国際社会から尊敬を受けて磐石の地位を築いていくことを目指し、少しでも天皇陛下の御心に沿い奉ることができるよう尽力してまいりたいと存じます。

 天皇皇后両陛下のご健康と皇室の末永いご繁栄を祈念申し上げますとともに、御即位二十年に際し、改めまして衷心より奉祝の誠を捧げます。

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関口 勝利(世界真光文明教団代表役員)

関口 勝利(世界真光文明教団代表役員)

 天皇陛下御即位二十年を祝して

 天皇陛下御即位二十年を謹んでお慶び申し上げます。

 天皇皇后両陛下におかれましては、日々御多端のご公務の中、常に国民と共に歩まれ、国家国民の安寧と幸福、世界万民の平安を一心に祈り行じられるお姿に、ただただ感銘を受け、胸が熱くなるばかりです。

 本来日本人が持っていた利他の心、他者への労りと深いご愛情に溢れた両陛下。そのような高い精神性、霊性を持たれた万世一系の天皇を戴き、世界で最も古く尊い国日本に生を受けたことを誇りに存じます。

 私の祖父は、後に昭和天皇のご養育係をされた乃木将軍の馬を引いて日露戦争を戦い、明治天皇より金鵄勲章を賜ったことが生涯の自慢でございました。父も昭和天皇のお写真を拝見しただけで涙を流すぐらい強い敬愛の念を抱いており、私も幼少より皇室を敬慕申し上げております。

 両陛下はこれまで、日本全国、世界各地の御巡幸に加え、第二次世界大戦の激戦地等の「慰霊の旅」を続けておられますことに重ねて敬服いたしております。

 当教団もノルマンディー、フィリピン、パールハーバー、長崎、広島など世界各地において、互いに戦った各国の有志が相集い、戦没者の救われを祈る大小様々な慰霊のボランティア活動を行なってまいりました。六十年以上前の戦争の傷跡は未だに残り、世界各地の宗教・民族紛争を見ましても、憎しみの連鎖は果てしない不幸をもたらしています。これまでの長い競争原理の歴史を振り返り、互いの痛みを知り、許し合う「霊的和解」が非常に重要であると痛感致しております。

 国歌『君が代』に詠う「さざれ石」は、それぞれ個性を持った大小様々な石が寄り集まって大きな巌をなし、永遠に栄えますようにという願いが込められています。

 多様な文明がぶつかり合い、競争原理が渦巻く優勝劣敗の今の世界において、「さざれ石」のように、あらゆる文化を受け入れ協調できる日本人にこそ、世界中の国家民族が許し合い、支え合い、愛し合う協調原理の時代を切り拓き、世界の文化が織りなす平和な時代に導いていく使命があると存じます。

 来年、平城京遷都一三〇〇年を迎えますが、当時の遣唐使阿倍仲麻呂と李白の友情に見られるような千年以上にわたる日中友好の永い歴史を鑑み、李白文化交流、豆遣唐使派遣等日中友好を深める企画も進めております。

 天皇陛下の慈愛に満ちた大御心に沿い得ますよう、教育や文化交流、ボランティア活動を通じて、誇り高き文化大国づくりに微力ながら精進努力を重ねて参る所存でございます。

 天皇皇后両陛下の今後益々のご健勝と皇室の弥栄を衷心よりお祈り申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。

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高木 剛(日本労働組合総連合顧問(前会長))

高木 剛(日本労働組合総連合顧問(前会長))

 雇用・労働の問題に御心を寄せられる両陛下

 天皇陛下の御即位二十年、心からお祝い申し上げます。御即位以来満二十年、国民の安寧を願われ、日夜皇后陛下と共に国民に接せられているお姿を拝見し、感謝の気持ちで一杯でございます。

 天皇皇后両陛下におかれましては、常日頃から雇用や労働の問題にも強い御関心をお持ち頂き、近年の失業率の上昇や非正規雇用の急増と低所得労働者の増加など、「労働」と「国民生活」の状況についてご心配頂いており、「労働」関係の仕事に携わっている者として両陛下の御心情に頭が下がる思いです。

 また、天皇陛下は、先の大戦における戦没者や広島・長崎の被爆者などに対し、常に鎮魂の意を表され、世界と日本の平和を願われておられます。私たちも核兵器の廃絶を求める運動に一生懸命取り組んでおり、世界で唯一の原子爆弾の被爆国として、日本が核廃絶の先頭に立つのは当然のことであり、アメリカのオバマ大統領のイニシアティブのもとで高まりつつある核兵器廃絶の流れを加速化するため世界各国の皆さんと力を合わせ、核兵器のない地球を目指していく所存です。

 ところで、先般両陛下にトロイの遺跡の発掘者であるハインリッヒ・シュリーマン著の「シュリーマン旅行記清国・日本」をご紹介させて頂きました。幕末の日本へ来ていたシュリーマンが併せて訪問した清国と比べてどうであったのか、シュリーマンは幕末の日本と日本人の形而上下の清潔さをこの旅行記のなかで褒めてくれていますが、物質的には豊かになった今の日本が、気持ちや精神という面ではシュリーマンが賞讃した清潔さを持ち続けているのか、昨今の状況は懸念すべき方向に向かっているという指摘も多くなされているように思われます。抽象的な問題意識ですが、何をどうしていけばよいのか、シュリーマンを思い出しながら考えあぐねている昨今です。

 天皇皇后両陛下におかれましては、常に国民の幸せをお思いになられながらお過ごしの毎日かと存じますが、どうぞくれぐれも御自愛いただき、お元気で国民を御励まし頂きますよう衷心よりお願い申し上げる次第でございます。

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竹田 恆和((財)日本オリンピック委員会会長)

竹田 恆和((財)日本オリンピック委員会会長)

 スポーツを通じた明るい社会形成を

 天皇陛下ご即位二十年を心よりお祝い申し上げます。

 天皇陛下におかれましては永年にわたりスポーツに深くご理解を賜り、ご公務ご多忙にもかかわらず、多くのスポーツの場をご覧いただき、誠に有難く心より感謝いたしております。夏冬の各オリンピック競技大会の折には、大会で活躍したメダリストを毎回お茶会や園遊会にお招きをいただいており、スポーツ界として誠に光栄に存じております。この場においては、選手ひとりひとりに温かい励ましのお言葉をかけてくださるのみならず、各々の競技の内容や選手個々の成績や大会参加に向けた苦労話など、大変ご興味深いご様子でご質問をされ、選手たちにとってはこれ以上ない大きな心の支えとなり、終生忘れられない思い出となっております。

 私共JOCの理想は、「オリンピックを通じて、人類が共に栄え、文化を高め、世界平和の火を永遠に灯し続けること」であります。陛下の温かい御心を糧に、私共はこれまで以上にオリンピック・ムーブメントを推進し、明るい社会の形成に寄与していけるよう努力してまいります。

 今後益々、天皇陛下におかれましてはご健勝であられることを心よりお祈り申し上げます。

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田中 恆清(石清水八幡宮宮司・神社本庁副総長)

田中 恆清((財)石清水八幡宮宮司)

 御即位二十年を言祝ぎ奉りて

 清和天皇の貞観元年(八五九)、豊前国宇佐宮に坐します八幡大神の垂れ給うた「吾れ近都に移座して国家を鎮護せん」との御託宣に依り、木工寮権允橘良基は勅旨を蒙り山城国男山の山上に八幡造の六宇宝殿を造立、翌貞観二年四月三日、此処に八幡三所大神が御鎮座に相成りました。爾来、今日まで壱千百五十年に垂んとする間、皇室を奉戴する我が国の貴き国柄を護持すべく、私共八幡宮に仕える祠官社司輩は、日々大神に国家国民の安寧幸福を祈念し、祭祀の厳修に惟努めて参りました。

 古来、伊勢の神宮に次ぐ国家第二の宗廟とも称された石清水八幡宮には、御歴代の行幸七十余度、上皇の御幸百八十余度に及びますが、古文書古記録等を繙き、その厚き御崇敬の程をお偲び申し上げるにつけ、そして実際に平成九年八月十九日、天皇陛下、皇后陛下の石清水八幡宮御親拝行幸啓を仰ぎ、畏れながらお側近く竜顔を拝し奉る光栄に与らせて戴いた折の鮮やかな、また夢のような記憶を呼び覚ましたり致しますにつけ、余りに有難く勿体なく、その度に恐懼感激の熱き思いが新たに込み上げて参るのであります。これらの事共につきましては、既に他の書籍等でもご紹介させて戴きましたので、ここでは詳しく申しませんが、その砌、天皇陛下には、折から「国難」を打開なさるべく神前に熱祷を捧げられた亀山上皇の御幸、また孝明天皇の行幸という、国史上に名高き御先例と同じく、金銀御幣をもって誠に恭しく御拝あそばされたのでありました。

 顧みますれば、六十四年に亘る昭和陛下の偉大な御代が幕を閉じ、今上陛下の大御代が開かれた平成元年の初春から、御大葬の諸儀が一段落し、御即位の御大礼が挙行され、これが無事に執り納められた平成二年の秋冬にかけまして、我が国にとって最重要の節目である御代替わりの二ヵ年が、重々しく、そして華やかに過ぎ行き、やがて五年、十年を経て、今茲に御即位二十年の佳節をお迎えになりますことは、誠にお目出度く慶賀至極に存じ上げる次第であり、大御代の御栄えに浴させて戴いております日本国民としての幸せと誇りを改めて噛み締めると共に、神社界に身を置く者と致しましては、今後も末永く皇国の弥栄を祈り奉り、神明奉仕に精励して参る覚悟を新たに致すところであります。

 結びにあたり、これからも大御身愈御健やかに、大御寿弥遠永に渡らせられますよう、心よりお祈り申し上げ、私の奉祝の詞とさせて戴きます。

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寺島 泰三((社)日本郷友連盟会長)

寺島 泰三((社)日本郷友連盟会長)

 歴史と伝統の誇りある再生に向かって

 天皇陛下におかれましては、本年ご即位二十年の慶賀すべき年をお迎えになりました。

 誠に御目出度く謹んで心からお慶び申し上げます。

 この二十年間、天皇皇后両陛下には、国家・国民の統合の象徴として、国内におかれては、国家の繁栄と国民の安寧をお祈りされる宮中祭祀、国事行為はもとより即位直後の全国四十七都道府県のご訪問、文化・スポーツ・産業等のご視察、天災地変の被災地へのご訪問等を通じて国民をご激励されました。また、外国公式訪問はじめ国賓・公賓のご接遇等による国際親善につとめてこられました。そのご精励ぶりには本当に頭の下がる思いであります。

 さらに、国内外にわたり戦没者の慰霊の旅を続けられましたことは国民の記憶に新しいことであります。特に終戦六十年にあたる平成十七年にサイパンのバンザイクリフにおいて英霊や戦没者に頭を垂れさせ賜ったお姿には胸が熱くなるものを感じたのでありました。

 願わくば近い将来靖国神杜への御親拝が実現するよう期待するものであります。

 またこの間、ご皇室にとっても皇太子殿下のご成婚をはじめ多くの慶事がございましたが、現皇室にとって実に四十一年ぶりとなる悠仁親王殿下のご生誕は、皇室ご当代のみならず国家、国民の熱烈なる待望であり感激の極みでありました。

 我が国は建国以来今日まで二千六百有余年、百二十五代にわたる男子皇統の歴代天皇を戴く世界でも稀有な国家であり、各国から羨望と尊敬を受けています。しかしながら、戦後体制の桎梏から国家の歴史、伝統、文化等の多くの分野で、国民の国家観、価値観等が多様化し、一部には自国の美風を軽視し、さらには貶めるような言動が散見されるのは極めて憂慮すべきことであります。

 私ども日本郷友連盟は発足以来五十有余年、「光栄ある歴史と伝統を継承する」を連盟目的の一つに掲げ、国防や教育を中心にした調査研究を行いその成果を内外に発信し普及啓蒙を図ると共に、これらに基づく国民運動を広く展開して参りました。

 現下の我が国を取り巻く風潮には厳しいものがありますが、関係諸団体とも密接な連携を図りつつ、歴史と伝統を大切にする誇りある日本の再生に向かって更なる努力を重ねる所存であります。

 天皇陛下ご即位二十年の佳き日にあたり、天皇皇后両陛下をはじめ皇室の益々の弥栄を心からご祈念申し上げお祝いの言葉といたします。

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天坊 昭彦(石油連盟会長)

天坊 昭彦(石油連盟会長)

 エネルギーの安定供給に向けて

 天皇陛下御即位二十年にあたり、謹んでお祝い申し上げます。

 御即位されてからの二十年間は、内外ともまさに激動の時代でありました。

 御即位後まもなく東西の冷戦構造が解消し、世界平和に向け大きな前進が期待されましたが、湾岸戦争に代表される地域間紛争や、各地におけるテロの増加など、強く平和を望んでおられる陛下には、御心痛む出来事が相次ぎました。また国内でも多くの災害が発生し、さらにはバブル崩壊後景気の低迷が長引くなど、日本国民にとっても厳しい日々が続きました。加えて、地球温暖化等の環境問題は、新たに克服すべき大きな課題として、人類の前に立ちはだかっております。

 陛下には、極めてご多忙なご公務のなか、二十三カ国にのぼる海外への公式訪問を通じて諸外国との友好親善に努められたほか、国内では四十七都道府県すべてに親しくおみ足を運ばれ、災害の被災者や各分野で努力する人々をねぎらい、激励されておられます。そのようなお姿をテレビ等で拝見させていただく度に、日本国民一人一人に希望をお与えくださるお気持ちに、深く感動いたしております。

 この間、石油産業にあっては、石油が政治的に不安定な中東地域を中心に生産され、また近年金融商品としての性格を強め価格が極めて不安定となっているにもかかわらず、依然としてわが国エネルギーの約半分を占め日本経済を支える重要な役割を担っていることから、その安定的供給に全力を尽くして参りました。温暖化対策の進展や景気の低迷等により、エネルギーに占める石油のシェアは徐々に減少を始めておりますが、政府の最近の見通しにおいても今後二十年以上にわたってエネルギーの主役の地位にあることが見込まれているところであり、この美しい日本を守るため環境に配慮しつつ、石油の安定供給に業界を挙げて引き続き邁進してゆく所存であります。

 天皇・皇后両陛下の末永いご健勝と皇室のご繁栄を祈念申し上げまして、御即位二十年のお祝いの言葉といたします。

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中島 精太郎(明治神宮宮司)

中島 精太郎(明治神宮宮司)

 御即位二十年をことほぎまつりて

 御製

しろしめしし御代かへりみて日の本のもとゐ成りたる様をしのびぬ

このお歌は、天皇陛下が、明治神宮鎮座八十年にあたり賜った御製でございます。

 明治天皇の聖徳を仰ぎつつ、未曾有の国難に見舞われる中、国民がひとしく国づくりに励んだ往事をお偲びになってお詠みになられたものと拝察いたします。

 この御製を拝して思い出されますのは、平成十六年、昭憲皇太后九十年大祭にあたっての御参拝の折のことです。陛下が御参拝を終えられた後の帰り途、神門でつと立ち止まられると、遥か御神前を振り返られ、「しろしめしし御代」をお偲びになられるよう遠いまなざしで御一礼をなされました。深い静寂の中に浮かび上がった、その御姿の気高さは、いまもこの心のうちに鮮やかによみがえります。

 幕末から現代までの百五十年ほどを俯瞰したとき、あらためて時代の激動に驚かざるを得ません。開国、維新、日清・日露戦争、近代国家の建設、そして先の大戦、焼け跡からの復興、さらに地球規模の環境問題、止まない紛争…。その間、苦しみの淵にある人々に深く大御心を寄せ給い、父親のごとく国民の幸せと世界の安寧を祈り続けられた明治天皇、大正天皇、昭和天皇。そのご歴代の天皇の大御心を受け継がれる今上陛下には、つねに民と共にお悲しみ下さり、また共にお喜び下さる、君民一如の美しいこころの伝統を御身をもってお示し下さっておられます。

 慰霊と平和祈念のため、災害に遭われた方々や辛労辛苦の方々へのお労わりのため、休むことなく全国を行幸され、また海外の数多くの国々において人々を包み込む温かな笑顔で、真の友好親善に尽力されていらっしゃる陛下の私心なき尊い御姿に、国民ひとしく敬仰と感謝の念を捧げるものです。

 天皇皇后両陛下におかれましては、天機愈々御麗しいご日常と共に皇室の益々の弥栄え、更には、両陛下をお慕いする国民との絆がより一層深まりますよう、心からご祈念申し上げます。

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中野 良子(オイスカインターナショナル総裁)

中野 良子(オイスカインターナショナル総裁)

 国父・国母であらせられる天皇皇后両陛下

 天皇陛下ご即位二十年を寿ぎ奉り、両陛下並びにご皇室の弥栄を祈念申し上げます。

 思えば私たち国民の多くが、日常、自分たちを取り巻く物的事象に明け暮れて、深くこの国の真実の姿に心を致すことを忘れているのではないでしょうか。

 もちろん、二千有余年の長い年月の間には治乱興廃さまざまな歴史を刻んではおりますが、この国が私たち国民の生活を載せて今日まで恙なく存在することは、それ自体ただ事ではないことに思い至ります。そこには、先祖たちの培われた資質である、敬神崇祖、勤労勤勉、家族の絆、他を思いやる心、一致協力する心などあったでしょうが、なんといっても支柱は、その中心に万世一系の伝統を継承される天皇のご存在を置いてほかにはないでしょう。ただ今日、歴史教育の中で否、家庭で社会でメディアで、この国の最も大切なことが伝えられないことは、憂慮に堪えません。

 まさに天皇皇后両陛下のご存在は国父であり国母であらせられます。サイパンの戦跡に立たれ祈りを捧げられるお姿、被災地を訪れて励ましのお言葉をかけられるお姿に、何物にも変えがたき至福を感ずるのは私のみではないと思います。

 私自身、オイスカがフィリピンで展開する養蚕の協力活動をご報告する機会に恵まれ、皇后陛下がまさに国母であらせられることを心に抱きしめた瞬間を体験させてもいただきました。蚕は「天の虫」と呼ばれ、神様から授かった虫です。香淳皇后から引き継がれた美智子皇后さまはご自身、皇居内の養蚕所で日本から養蚕が絶える事のないように祈りながら蚕を飼っておられます。

 皇居内の水田では五月のお田植えから始まる稲作を天皇陛下が黙々と行っておられることも先祖の神から伝えられ示された農事であり、これは養蚕とともに日本人の衣食の中心をなすもので、祭祀を伴う神事でもあるかと解せられます。

 宮中で行われる祭祀は元旦の四方拝に始まり、年間多数に及ぶと聞いておりますが、天皇陛下にとって最も大切な意味を持つものではないかと思います。長きにわたりこの国を存続あらしめた伝統文化の中枢をなすものは天皇の執り行われる祭祀ではないかと思うからです。個人や私心という俗事を超越した、ひたすら祖先の神を思い、国家の安寧、国民の安心立命を願われるその祈りは何者も及ばない、また替わることもできない至尊のものではないかと拝察するからです。

 喧騒な世界にあって、天皇、皇后を尊び懐かしみ、共に国を愛し守ることに心を合わせて精を出すことが、世界に貢献できる国となる基本であると確信します。

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野村 弘(全国町村議会長会会長)

野村 弘(全国町村議会長会会長)

 町と村の伝統・文化を守る気概を

 天皇陛下御即位二十年の佳き年を御壮健にてお迎えになられましたことは、誠に喜ばしく、心より御祝い申し上げます。

 また、本年は、両陛下の御大婚五十年になられ、誠に慶賀に存じる次第でございます。

 さて、平成の二十年間は、内外ともに多難な、変動の大きな年でありましたが、陛下におかれましては、常に国民の安寧を祈念され、御即位以来、全ての都道府県や四百を超える市町村への行幸を賜りました。

 特に、新潟県中越地震等の被災地へ皇后陛下と共にご慰問をされ、被災者に対する温かいお言葉や復旧・復興に携わる人々への励ましをいただき、言葉に言い尽くせないほどに皆元気づけられました。

 また、今日の我が国の平和が先人の尊い献身の上に築かれていることに対し思いをいたされ、戦没者の慰霊とご遺族の方々の労苦に深い御心を寄せてこられました。誠に有難く感謝申し上げます。

 全国の町村議会は、これまで住民と共に地方自治を支え、地域の振興に努めて参りましたが、本年は全国町村議会議長会創立六十周年に当たり、各都道府県の町村議会議長会の会長・副会長が十月に宮中において陛下に拝謁を賜りました。

 その際、平成の大合併で町村議会議員は大きく減少したものの、歴史ある町村の伝統・文化を守る気概は変わることなく、町村の発展のため決意を新たにしている旨の言上をいたしました。

 陛下からは、「皆さんが日々、地方自治のために尽力しておられることを誠にご苦労に思います。今後とも町民、村民の幸せと地域の発展のために力を尽くしていかれるよう願っております。」とのお言葉を賜り、一同感銘を受けた次第であります。

 これからも公務御多端と存じますが、両陛下には益々ご健勝に渡らせられますことと、皇室の弥栄をご祈念申し上げ、天皇陛下御即位二十年を心から御祝いの言葉とさせていただきます。

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林崎 千明(財団法人水交会会長)

 時の政権を超越した皇室

 天皇陛下ご即位二十年を衷心よりお祝い申し上げます。

 先の大戦で深く傷ついた国土と国民も昭和の御世で完全に復興し、経済的には世界の主要国の仲間入りを果たしました。一方、米ソ両大国の力のバランスの下でかろうじて安定を保っていた世界は、冷戦の終焉と共に大きな変化の波にさらされ、平成の御代でも激震と微動が繰り返されております。

 その変化の時代における人々の生活や考え方も価値観の多様化と、生活様式の多極化から、昭和の御代とは大きく違ってきており、今や我が国の政治の体制すら大きく変わろうとしております。

 これらの大きな変化の波にさらされながら、多くの日本国民の心は乱れることも迷うこともなく安寧を保っております。これは時の政権を超越した皇室というものの存在が国民の大きな精神基盤となており、国民統合の象徴としての天皇陛下を敬う心が知らず知らずのうちに人々を強く結びつけているからに外なりません。

 陛下が常に国の安泰と民の安全・安心を祈っておられることは、広く国民の知るところでありますが、近年特に、災害被災地のご慰問や、各種施設のお見舞いなどで示される、人々の心のひだに深く分け入る慰めのお言葉、人々の喜びをわが喜びとされる細かなお心遣い、弱者を気遣うお振る舞いなど、直接その場に居合わせた人々だけでなく、報道機関を通じて届けられるお声や映像からも多くの国民が大きな力を頂いております。

 私ども水交会は、戦没者の慰霊顕彰を大きな活動目的の一つにしておりますが、これまでに陛下が全国戦没者追悼式や、沖縄、硫黄島、サイパンなどかつての激戦地に足を運ばれて示された祈りのお気持ちを深く心に刻み、引き続き慰霊の真を尽して行きたいと考えております。

 日本人としてこの国に生まれた幸せ、平成の御代に、陛下と同じ空の下で暮らせる喜びをかみ締めながら、改めて皇室の弥栄をご祈念申し上げます。

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半田 孝淳(天台座主)

半田 孝淳(天台座主)

 延暦寺行幸啓を戴いて

 今上陛下には御即位二十年をお迎えのこと慶賀に存じ、奉祝申し上げます。陛下におかれましては、公務ご多端の中、ご訪問の全国各地において慌ただしい日程を縫って災害被災者や障害者など弱い立場の人々へのご慰労・ご慰問に務めていただき、さらに広島、長崎、沖縄、硫黄島、サイパンなど内外の戦災地をお訪ねになり戦争犠牲者への慰霊を続けてこられました。国民の安寧を願われ、犠牲となられた方々への切なる御祈りのお姿を拝して、戦争の時代を生きた一人として唯ただ感謝を申し上げております。

 さて、過る平成十九年秋十一月十三日、延暦寺は忝くも天皇皇后両陛下御行幸啓の栄にあずかることとなりました。昭和天皇・香淳皇后両陛下のご上山、昭和五十年五月以来の誉であります。当山は、延暦二十五年、桓武天皇の恩顧により天台法華宗の寺基を定めて壱千二百年余、その間天子本命の道場として天皇陛下の玉体安穏と皇室の繁栄、さらには国家の安泰を不断に祈り続けてまいりました。

 多くの法親王様が天台座主に上任されるなど皇室とは親縁不離の関係も頂いてまいりました。

 此のたびの御行幸啓の内示をお受けしたのは期日の半年ほど前のことでありました。両陛下には第二十七回全国海づくり大会にご出席のため、滋賀の地へご来訪になられ、各所での行事・ご参観を終えられてご帰京の日、比叡山延暦寺へとのご内意と承りました。

 爾来、宮内庁始め関係各機関のご指導ご助言をいただきながら、延暦寺挙げて奉迎の諸準備を整え、当日は、延暦寺一山の住侶に加えて天台宗の要路、宗門校延暦寺学園の児童生徒及び大勢の信徒がご行路の各所にお出迎えをいたしました。

 私は、延暦寺大書院にて門跡寺院住職、宗門並びに延暦寺の代表と共にお出迎えをし、御休み所に参上して御挨拶を申し上げました。

 陛下は、玉体安穏、国家安泰を二十一カ座、七日間に亘って祈願する『御修法』法要を親しくご慰労賜り、皇后陛下には緑なす山の秋景色を賞していただきました。

 ご滞在一時間半のなか、根本中堂への両陛下お揃いのご参拝は壱千二百年余に及ぶ当山の歴史に初めてのことであり、本尊へのご拝礼、御修法の道場位置など堂内ご参観は、延暦寺挙げての慶事、感激の極みでありました。その後は宝物館にも赴かれ、桓武天皇御影像、嵯峨天皇御定翰「光定戒牒」、傳教大師御真筆「年分縁起」などの寺宝をご披覧賜り、大書院にての再小憩、御見送りにて行幸啓日程を無事終えることができました。

 第二百五十六世座主に上任して一年余、御行幸啓の栄に浴して、鎮護国家の道場、比叡山延暦寺にあって、今後とも両陛下の幾久しい玉体尊体の安穏・無窮、皇室の繁栄そして国家の安寧を祈って参る所存でおります。

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廣池 幹堂((財)モラロジー研究所 理事長)

廣池 幹堂((財)モラロジー研究所 理事長)

 御即位二十年、心よりお祝い申し上げます

 天皇陛下には、御即位二十年をお迎えになられましたこと、心よりお祝い申し上げます。

 陛下は「即位後朝見の儀」で、「皇位を継承するにあたり、大行天皇の御遺徳に深く思いをいたし、いかなるときも国民とともにあることを念願された御心を心とし」と述べられ、その責務を果たすことをお誓いになられました。

 私は、昭和天皇のご事績でまず脳裏に浮かぶことは、敗戦後すぐのマッカーサーとの会見です。マッカーサー(連合国最高司令官)は、昭和天皇がみずからの助命を訴えるのではないかと考えていました。ところが昭和天皇は、「私自身をあなたの代表する諸国の採決にゆだねるためおたずねした」と、すべての責任を一身に負われたのです。マッカーサーは回想録の中で、死を伴うほどの責任、それも明らかに天皇に帰すべきではない責任まで引き受けようとする勇気に満ちた態度に、私は骨のズイまでゆり動かされ、「我、神を観たり」と心の中で叫んだと記しています。

 昭和天皇は、翌年から八年半にわたって全国四十六都道府県に巡幸され、国民を励まし続けられました。そのお姿、大御心が日本復活の原動力になったことは間違いありません。

 今上陛下は、昭和天皇の御心を継承され、先の大戦で尊い命を亡くした戦没者や遺族に対して常に思いを寄せられ、沖縄、長崎、広島、東京、そして硫黄島やサイパンへと慰霊・鎮魂の旅をお続けになられました。

 一方、平成十四年十月、お誕生日をお迎えになった皇后陛下は、北朝鮮による拉致被害者のうち五名の方々が帰国したことに触れられ、「何故私たち皆が、自分たち共同社会の出来事として、この人々の不在をもっと強く意識し続けることが出来なかったかとの思いを消すことができません」と述べられました。私は愕然としました。このお言葉は、私自身を含めたすべての国民を叱責する国母の愛であると痛感しました。

 その年の天皇誕生日に宮中で撮られたお写真を拝見し、私は感動しました。皇后陛下がブルーのドレスを召されているのです。ブルーリボン運動が始まって間もないころです。リボンのブルーは、北朝鮮と日本を隔てる日本海の青、拉致被害者とその家族を唯一結んでいる青い空をイメージしているといいます。ブルーのドレスによって、国民の絆の大切さをお示しいただいた、と確信しました。拉致被害者のご家族、関係者は、どれほど勇気づけられたことでしょう。

 国民を慈しみ、国民の現実の喜びや悲しみをわがこととして受けとめ、慰め励まし、さらに世界人類の平和と幸福を祈られる皇室の伝統精神。天皇皇后両陛下のお姿は、皇室に脈々と流れる伝統精神の現れです。その恩恵を戴いている幸せに、日本国民として心から感謝するとともに、皇室の益々の弥栄を切にお祈りいたします。

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保積 秀胤(大和教団教主)

保積 秀胤(大和教団教主)

 皇室への尊崇心の育成を

 此の度、天皇陛下におかせられましては、御即位二十年という誠に慶賀すべき年をお迎えになられました。心よりお祝い申し上げる次第でございます。

 この間、陛下におかれましては国民統合の象徴として、私共国民はどれほどの希望と勇気を頂いたことでしょう。

 陛下はいついかなる時にあっても、常に私共国民を見守られ国民の幸せと世界の平和を祈り続けておられます。それは我が国の活力の源泉、統一の原点となり、我が国の安定と発展がなされてきたものであります。

 陛下のお姿やお言葉に私共国民の多くは遠くより拝し奉ることしか叶いませんが、優しく温かく慈悲に満ち溢るお姿にお言葉に只々有り難く手を合わすばかりにございます。「誇りある国づくり」の日本会議組織の一員として、ご皇室への尊崇と敬愛の心を育成し更なる誇りある国づくりに向けての運動を展開致さねばと念じおるものです。

 陛下の私共国民の繁栄と幸せを願われる大御心に深く感謝を申し上げ、両陛下のご健康と我が国の隆昌を心から祈念するものです。

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松長 有慶((財)全日本仏教会会長)

松長 有慶((財)全日本仏教会会長)

 慈愛に満ちた尊い御姿

 天皇陛下におかれましては、御即位二十年という記念すべき年を迎えられましたこと、衷心よりお慶び申し上げます。

 この二十年の間、国民統合の象徴として世界各国との友好親善にご尽力いただき、日本国内にあっては各種の大会・団体行事へのご出席、また各都道府県の福祉・文化・各産業の振興のためのご視察等に休まれる間もなくご精励いただきました。

 またこの間、我が国では阪神大震災、北海道南西沖地震、新潟中越地震をはじめとする数多くの自然災害が発生し、多くの尊いいのちが失われました。現地では仏教界をも含む数多くのボランティアが活動し、様々な形での被災者支援を行いました。

 その際に、天皇皇后両陛下はいち早く現地に赴かれ、被災者の皆様に膝をついて言葉をかけ、手を握って励まし続けられました。そして深い悲しみの内にある多くの人々に大いなる勇気を与えられました。

 こうした両陛下の慈愛に満ちたお心遣いと尊い行いに対して、深い敬意を払うものであります。

 ここに両陛下の今後の益々のご健勝と御多幸を心よりご祈念し、謹んでお祝いを申し上げます。

 合 掌

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丸山 敏秋((社)倫理研究所理事長)

丸山 敏秋((社)倫理研究所理事長)

 天皇陛下御即位20年を寿ぎて

 天皇陛下におかれましては、御即位二十年という節目の年をお迎えになり、また四月には両陛下御結婚五十周年もお迎えになられましたことを、衷心よりお慶びお祝い申し上げます。

 陛下は御即位以来、この二十年の間に、多端なご公務を担われつつ、歴代天皇としては初めて全国四十七都道府県をくまなく行幸啓され、国民の生活状況や産業振興のご視察、自然災害の被災地へのご慰問、戦没者慰霊などを重ねてくださいました。その大御心に、深甚なる感謝の念を禁じ得ません。

 私共の団体を創立した丸山敏雄は、天皇廃位を叫ぶ声に国論騒然とした戦後間もない時期に、日本国と天皇について大部の研究論文を書き残しました。その一節にこうあります。――「日本が生きておるのは、天皇ましますが故である。天皇は日本の生命である。三千年否悠久の古より、一貫不断生きつづけ、生成発展、一日も息むことなき生命のみそぎ、これが日本国の生ける姿であり、その中心はかしこくも遠つ御祖天照大神より天津日継しろしめす天皇に坐す」。

 そのことは、今も変わらずかくあり、今後もかくあらねばならない日本の真実と申せましょう。天皇皇后両陛下の御慈顔を目にし、国民の安寧を祈られる真心の御歌に触れるとき、その真実の有り難さが胸中に満ちみなぎります。「上下一心」という国民道徳の基根に目覚めます。

 平成の御代の日本は、多難な二十年でした。政治も経済も教育も国民生活も、低迷と混乱がつづいてきました。そこに欠けていたのは、両陛下および皇室の御存在ゆえの日本という意識だったのではないでしょうか。大御心の万分の一にもお応えできず、国民の一人として慚愧に堪えません。かかる意識の高まりによってこそ、わが国の創造的な再生が成就すると確信し、及ばずながら私共も社会教育の一端を担う覚悟であります。

 天皇皇后両陛下におかれましては、どうか今後ともお健やかにお過ごしください。そして日本国の安泰と国民の安寧をお守りください。切に切にお祈りお願い申し上げます。


平成の頻波(しきなみ)寄する日の本に大御心の守りかしこし

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宮本 丈靖(妙智會教団会長)

宮本 丈靖(妙智會教団会長)

 天皇陛下御即位二十年「奉祝文」

 天皇陛下におかれましては御即位二十年をお迎えになられましたこと、衷心よりお祝い申し上げます。このたび奉祝委員のひとりとして、陛下の御即位二十年をお祝いできますこと、誠に光栄の至りに存じます。

 天皇皇后両陛下は常日頃、全国各地を行幸啓なされ、常に国民を和やかな笑顔に包みこまれる恵いやりの御心で激励してくださり、国民もまたそのお姿に励まされ、支えられてきました。なかでも養老院のお年寄りや身体障害をもつ子どもたち、そして各地の被災地で天きな被害にあわれた方々にそそがれる温かいまなざし。どこでも床に膝を落とされて相手の目をしっかりと見つめられ、一言一句に細やかな慈愛をこめられる触れ合いのご様子は、私の胸に深い感動を与えてくださいます。老若男女、上下の差別一切なく、すべての国民に等しく接せられる両陛下はまさしく「日本国民統合の象徴」であり、「平和の象徴」でございます。

 当教団は戦後の復興期である昭和二十五年十月十二日に開教し、渋谷区代々木の本部で発会式を執り行いました。式典後、創設者の宮本ミツをはじめ会員一同は明治神宮をご参拝させていただき、ご皇室の安泰、そして開教奉告と教団の興隆を祈念いたしました。以来今日まで私は、国民の一人として、「日本国の象徴であるご皇室への敬愛と信頼に思いをいたし、毎年新しい年を迎えるたびに明治神宮をお参りし、教団の発展に感謝の誠を捧げてまいりました。

 また教団の大願である世界平和実現に向けて、長年微力ながら慈善事業にも取り組んでおり、その中で日本赤十字社の活動にお手伝いをさせて頂いております。平成十七年五月二十日の全国赤十字大会において私は教団代表として『金色有功章』受章しました。その折壇上において、日本赤十字社名誉総裁であられる皇后陛下お手ずから賞状をお受けするという栄誉を賜りました。皇后陛下から親しくお言葉を賜り、私は今後さらに宗教者一の立場から平和構築に向けて貢献していくことへの決意を新たにいたしました。

 世一界の人々の幸せだけを願いつづけられる両陛下の大御心に沿い奉るよう、各界の皆様とともに世界の恒久平和と日本の未来の繁栄に向けて日々精進努力させていただくことをお誓い申しあげます。

 両陛下に心からの感謝をささげますと共にいつまでもご健勝であられ百賀までものご長寿、そしてご皇室の未来永劫のいやさかを心よりお祈り申しあげます。

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村鳥 邦夫(御嶽教管長)

村鳥 邦夫(御嶽教管長)

 唯ひたすらに鳴謝の感慨

 天皇陛下御即位二十年、両陛下御成婚五十年を心から慶祝申し上げます。

 私は信州木曽御嶽山を信仰の根本道場とする教派神道「御嶽教」の第十二代管長を務めさせていただいている者でございます。

 平成十一年二月に私共の若手神職で構成する青年部員十八名が皇居の勤労奉仕をさせていただきました。御会釈を賜る際、当時の青年部会長でありました北川茂廣が奉仕七団体を代表して、「聖壽萬歳」の発生の栄を授かりましたこと、さらには皇后陛下から「御嶽教と言うと山岳宗教の?」との御質問をいただき、「はい、そうです」とお答えさせていただきましたら、「そう、これからも頑張ってください」と暖かい励ましの御言葉を賜りましたことなど、生涯に尊い喜悦の思い出を与えていただいたとのことでありました。

 皇居の勤労奉仕は、今は永遠の苑に旅立ちました母も別の団体で勤めさせていただきましたが、奉仕から帰宅した時の第一声が「誠に有難く勿体ない奉仕だった」と語っておりましたことが印象深く残っています。

 私は三重県四日市市の出身ですので、陛下が伊勢の神宮へ御巡幸の際には近鉄沿線で事前警備をかねて、御乗車の近鉄特急をお待ち申し上げ、日の丸の手旗を精魂込めて振らせていただいておりました。そこは線路がカーブになっている箇所で特急もスピードを緩くしますので、お迎え、お見送りさせていただくには好適所でありました。

 近年、自然災害が多発する中、テレビの画面を通して両陛下が被災地の避難所を御慰問され跪かれて目線を合わされ、お見舞いや励ましの御言葉をお掛け下さっておられる御姿を拝見させていただく度に、誠に感無量の思いが込み上げてまいります。生きる希望と勇気をお与え下さり、国民の幸せをお祈り賜る両陛下の御慶事を国民挙って御祝い申し上げ、御健勝を祈り奉ります。

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森 民夫(全国市長会会長・長岡市長)

森 民夫(全国市長会会長・長岡市長)

 山古志の闘牛場に歌碑を建立

 天皇陛下におかれましては、御即位二十年という誠に慶賀すべき年を迎えられました。心よりお祝いを申し上げます。

 この間、日本国民の安寧のため様々な公務に御精励なされて来られました。その御労苦に全国八百六都市を代表し心から感謝を申し上げます。

 私事ですが、これまで私は天皇皇后両陛下に何度かお目にかかる栄誉に浴し、その度に細やかなお心配りに大変感動しております。なかでも生涯忘れられない思い出は、平成十六年十月二十三日に発生した新潟県中越地震の時のことです。この地震は、死者六十八人、重軽傷者四千七百九十五人、住家被害約十二万棟など甚大な被害をもたらし、電気、水道、ガス、新幹線が止まる中で、私は市長として災害対策の陣頭指揮を取り、災害復旧や避難住民五万人の対応に追われていました。

 地震発生から二週間後の十一月六日のことです。両陛下が、長岡市内に全村避難した山古志住民の避難所を御慰問されました。「大変なご苦労をしましたね」という両陛下からの一人ひとりへの励ましのお言葉に、家や財産を失い、明日からどうしたらよいのか、もう二度と故郷には戻れないのか、心が折れそうな被災者が、どんなに勇気づけられたことでしょう。今でもあの時のことを思いますと、胸に熱いものが込み上げてまいります。

 昨年は、復興状況の御視察のため長岡市を御訪問され、山古志では無事に戻った牛の角突きの練習を御覧になりました。そして、被災地が元の生活を取り戻しつつあることをお喜びになり、お気持ちを次のように詠まれました。


 御製(天皇陛下のお歌)なゐにより避難せし牛もどり来て角突きの技見るはうれしき

 皇后陛下御歌     かの禍(まが)ゆ四年(よとせ)を経たる山古志に牛らは直(なほ)く角(つの)を合はせる


 この両陛下の御心を永く後世に伝え、長岡市民の復興への思いを新たにすることを願い、リニューアルした山古志の闘牛場に歌碑を建立いたしました。被災地の復活、住民の復興を見守ってくださる歌碑を、市民とともに大切にしてまいる所存であります。

 多くの先達が苦労して築き上げたこの平和な日本。これからも人々が安心して暮らせるよう、市長として全国市長会会長として、微力ではありますが関係者と力を合わせて日本の発展に貢献できるよう全力を尽くしてまいります。

 結びに、両陛下の益々の御健勝と皇室の弥栄をお祈り申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。

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山本 文男(全国町村会長)

山本 文男(全国町村会長)

 皇居勤労奉仕の感動

 天皇陛下におかれましては、御即位20年をお迎えになられましたことを謹んでお祝い申し上げます。御即位以来、めまぐるしく変化する内外の社会情勢の中にあって、困難な事態もございましたが、天皇皇后両陛下におかれましては、常に国民と苦楽を共にされ、国民の幸福を祈り続けてこられました。

 住民に最も身近な行政に携わる私ども町村長は、地域住民の福祉の向上、地域の特性や資源を活かした施策の展開等に微力を尽くしているところでありますが、突如として襲ってくる地震や台風等自然の猛威によって打ち拉がれることも少なくありません。そのような中、両陛下におかれましては災害に苦しむ住民の緊急避難所を訪問され、慰めや励ましのお言葉を賜っておりますことは、被災者にどれ程の大きな勇気と希望を与えていただいているか計り知れないものがあります。

 この10年間をみましても、両陛下は、新潟県中越地震等の被災者へのお見舞いをはじめ、災害を受けた地域の復興状況や地域事情のご視察も行われ、復興への尽力者に対する労いのお言葉を賜る等幾度となく地域再生のための活力を与えていただきました。国民の皆様とともに心から感謝申し上げる次第であります。

 両陛下への感謝の表れとして、また、美しい皇居を守るため、全国各地から皇居勤労奉仕を希望される方が大勢いらっしゃいます。私の添田町からも有志が奉仕団を結成し皇居と赤坂御用地で清掃作業に参加させていただきました。参加者からは「両陛下にお目にかかった際にいただいたお優しい御会釈は緊張とともに大変な感動であった」、「労いのお言葉を賜った時の感激は一生忘れられない」といった言葉が異口同音にあり、両陛下への敬愛と信頼の思いを強く感じた次第であります。

 全国の町村の多くは、農山漁村地域にあり、これまで食料の安定供給や水資源の涵養、自然環境の保全など国民の生存を支える重要な役割を担い続けてまいりました。市町村合併によりこの10年で町村数は大幅に減少しましたが、その果たす役割は不変であり、私ども町村長は今後ともそれぞれの地域において、知恵を絞り、工夫を凝らしながら様々な行政課題に取り組み、文化の香り高い、活力と魅力ある地域づくりを進めていくことが必要であると存じております。

 財政状況の悪化や急激な少子高齢化等により、わが国の社会経済情勢は、依然として厳しいものがありますが、そのような中であっても私どもは「町村の発展なくして国家の伸展はあり得ない」との信念の下、町村自治の確立に向け、全力を挙げて取り組み、わが国の繁栄に尽くしてまいる所存でございます。

 結びに、天皇皇后両陛下のご健勝と、皇室の益々の弥栄をお祈り申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。

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山本 修三((社)日本病院会会長)

((社)日本病院会会長)

 両陛下の御存在は国民の心の原点

 天皇陛下におかれましては、第百二十五代の皇位にお即きになられてより、二十年という誠に慶賀すべき年を迎えられ、また、御成婚五十年の記念すべき年を迎えられ、この二重のお慶びに際しまして心からお祝い申し上げます。 思い起こせば、昭和三十四年四月十日に両陛下がご結婚なされ、皇居から馬車でパレードされたことは、今でも記憶に残る御慶事でありました。 ご成婚は昭和三十九年十月に開催された東京オリッンピック開催とともに、わが国が戦後の復興を果たすために、大きな力を与えていただいたと確信しております。

 天皇陛下は昭和六十四年一月七日に昭和天皇が崩御され、天皇となられました。 当時は中国の天安門事件や、ベルリンの壁の崩壊等、世界的にも大きな変動の年でありましたが、平成2年には礼宮さま紀子さまのご結婚、平成五年には皇太子さま雅子さまのご結婚とご慶事が続かれました。 ご即位二十年となられましたが、天皇陛下は、これまでの皇室の伝統を受け継がれ、多忙なご公務のほかにもご研究等をされているお姿を拝見すると畏敬の念に心を打たれる思いであります。

 本年、日本病院会にとりましては、当会の一研究会から始めました、日本人間ドック学会が創立五十年を迎え、九月三日に日本病院会と日本人間ドック学会による「日本人間ドック学会創立五十周年記念式典」を都内のホテルで開催いたしました。 かねてより、医療問題に深いご関心をお持ちと伺っておりました天皇皇后両陛下に、この記念式典の祝賀会にご行幸啓を賜り、 約三百名の出席者とともに天皇皇后両陛下にご拝謁させていただきました。 快い緊張感を伴いながら「21世紀は予防医学の時代」という挨拶をさせていただきましたところ、天皇陛下との歓談で、陛下から予防医学へのご理解と、人間ドックに対する重要性についてお言葉を賜り、また、学会の活動に対し、励ましのお言葉を賜り、会員一同大変感激いたしました。  大規模地震等の自然災害発生の際に、天皇皇后両陛下は被災地にいち早く行幸啓され、被災者一人一人にお言葉をかけていらっしゃるお姿は報道等で見ておりましたが、式典では親しく天皇皇后両陛下とお話させていただき、その暖かいお心に触れ、感無量の思いでありました。 いかなるときも、国民を暖かく見守っておられる天皇皇后両陛下のご存在が、日本国民の心の原点となり、日本の発展の支えとなってきたことを改めて感じた次第です。 天皇皇后両陛下におかれましては、毎日お忙しいスケジュールとお聞きしておりますが、両陛下のご健康と皇室のご繁栄を心からお祈り申し上げます。

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