各界の取り組み

各界からの声

経済界

(敬称略)

青木 章泰高知県商工会議所連合会会頭
青木 章泰

活力ある地域づくりへの誓いを込めて

 このたび、天皇陛下が御即位三十年をお迎えになられましたことを、謹んで心からお祝いとお喜びを申し上げます。

 初代神武天皇より、百二十五代続く日本の皇室はわが国が世界に誇るべきものであります。天皇、皇后両陛下は、国家を象徴して公務を司られるだけでなく、国民に寄り添ってその幸せを祈念されてこられました。陛下のお心は、常に民とともにあり、多くの国民は、両陛下からの励ましやねぎらいにどれほど勇気づけられたことでしょう。

 また、昨年、陛下にとって最後の三大行幸啓となる全国豊かな海づくり大会高知家大会を、高知県にて開催できましたことは、県民にとってまことに大きな栄誉でありました。

 本県にとって、平成の三十年間は瀬戸大橋の開通に始まり、四国三架橋時代を迎え、今は四国新幹線の夢に向かって邁進する、経済構造が大きく変わった期間でもありました。

 現在、わが国の地方経済は、多くの課題を抱えておりますが、同時に夢も抱いております。一人でも多くの高知県民が、日本に生まれ、高知で生まれて良かった、高知で働き、高知で暮らせて良かったと感じていただけるよう、われわれは、地域経済の振興と福祉の向上のため、最大限の努力を傾注してまいる所存でございます。

 ともに喜び、ともに悲しんで下さる両陛下のご聖徳に深く感謝いたしますとともに、両陛下の益々のご健勝と皇室の弥栄をお祈り申し上げ、お祝いの言葉を奉げます。

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石嶺 伝一郎沖縄県商工会議所連合会会長
石嶺 伝一郎

両陛下の沖縄に寄せられ続ける大御心を支えとして

 天皇陛下御即位三十年、誠におめでとうございます。心からお祝い申し上げます。

 「あまたなる人ら集ひてちやうちんを共にふりあふ沖縄の夜」

 天皇陛下が昨年三月の沖縄ご訪問の思い出を詠まれた御歌です。このご訪問は、天皇皇后両陛下の強いご希望で実現し、天皇在位中では最後のご機会になるものと伺い、両陛下の沖縄に寄せられ続ける大御心に感謝申し上げるため、県民を挙げて提灯奉迎を行いました。

 奉迎の集いでは、両陛下のお泊り所の窓から見える提灯の動きに合わせ、実行委員長の私の提灯を合図に、川岸に集った四千五百名余の県民が両陛下へ提灯を振ってお応え致しました。遠距離の中、両陛下の提灯の僅かな光を頼りに必死で提灯を振りました。

 陛下の御歌を拝見し、この提灯の光を通じたやり取りで両陛下と県民の心が一つになるとともに、私共の感謝の気持ちを両陛下へお伝えすることができ、また実行委員長としての大役を果たせたことに安堵致しました。

 昨年四月には、平成最後となる春の園遊会にご招待頂きました。生涯の記念になるものと、夫婦で晴れ着を新調して出席致しました。午前中まで降っていた雨はすっかり晴れ上がり、赤坂御苑の木々や芝生の新緑も一層鮮やかに。園内はノーベル賞受賞者や五輪メダリストを始め各界を代表する大勢の招待客で溢れ、両陛下のお姿を一目拝しようと園路沿いに並びました。

 いよいよ天皇陛下が近づいて来られましたので深々と低頭致しますと、陛下が沖縄県と書かれた名札をご覧になって「沖縄から来られたのですね」とお声を掛けて下さりました。皇后陛下におかれましても私共の名札をご覧になり、先の沖縄ご訪問時のお話をして頂きました。両陛下のお言葉一つ一つに沖縄への深い思いが溢れており、目頭が熱くなったことを昨日のように思い出されます。

 多くの皆様のご尽力により、沖縄県経済は観光を中心に拡大が続いております。一方、依然として低い県民所得や子供の貧困等の課題も山積しております。両陛下の沖縄に寄せられ続ける大御心を支えに、沖縄の振興発展ひいては我が国経済の発展のために、今後とも力を尽くしてまいりたく存じます。

 結びに、天皇皇后両陛下のご健勝と皇室の弥栄を心より祈念申し上げ、お祝いの言葉とさせて頂きます。

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岩崎 芳太郎鹿児島県商工会議所連合会会長
岩崎 芳太郎

御即位三十年を奉祝して

 この度、天皇陛下におかれましては、御即位されてより三十年の佳節をお迎えあそばされますことを、心よりお慶び申し上げます。

 この三十年の間、天皇陛下は日本国と国民統合の象徴として御多端なご公務を担われますとともに、常に国民の幸福と平安に心を砕かれ、世界へ向けましても、日本の文化や伝統の素晴らしさを御自ら発信してこられました。

 価値観が多様化する現代のグローバル社会において、我が国が国としての命脈を保たれておりますのは、一貫して大御心を体現してこられた天皇陛下の御存在があるからに他なりません。

 また、私自身も平成三十年春の園遊会では、拝謁の栄に浴し、天皇陛下から直に温かい御言葉をいただきましたが、大変恐縮し感激致しますとともに、使命を新たにしたところでございます。

 天皇陛下は、御即位されてより「なるべく早い機会に、全都道府県をまわりたい」との強いお気持ちを抱かれ、皇后陛下を伴われて離島を含む国内の幾多の地方を巡られ、平成二十九年秋の鹿児島へのご訪問により、全都道府県を二巡なされたことになると伺います。そして、ご訪問の際には、地場の産業や企業を御自ら御視察されておられますが、かように地方の実情へも御心を注がれておられますことは、地域経済を担う私どもにとって、誠に心強い限りでございます。

 鹿児島県商工会議所連合会と致しましても、常に国民の繁栄と安寧を願う天皇陛下の大御心に応えるため、県下十一の商工会議所の強固な連携の下、本県経済の一体的な発展に全力を挙げて取り組んで参りたいと存じます。

 本年四月三十日には、天皇陛下が御退位され、翌五月一日に皇太子殿下が御即位されると拝聞しております。天皇陛下と国民の紐帯がこれまでと変わることなく揺るぎ無きものとなり、国運が益々隆盛となりますことを祈念申し上げます。

 ここに、天皇陛下御在位三十年を心よりお祝い致しますとともに、天皇皇后両陛下の今後ますますのご健勝と、皇室の限りない弥栄を謹んでお祈り申し上げ、お祝いの言葉と致します。

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大久保 博之茨城県商工会議所連合会会長
大久保 博之

天皇陛下御即位三十年を奉祝して

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年、そして御成婚六十年という慶賀すべき年をお迎えになられましたことを謹んでお祝い申し上げます。

 御即位以来、陛下は「何よりもまず国民の安寧と幸せを祈る」とのお気持ちから、全身全霊でご公務を果たしてこられました。併せて、終戦の日、沖縄戦終結の日、広島原爆の日、長崎原爆の日を日本人として忘れてはならない四つの日として大切にされ、慰霊と平和への深い御心を注いでおられます。さらに、遠隔地や島々を含む四十七都道府県をくまなく行幸啓され、その地で暮らす人々との心を通わせてこられたところでございます。

 このように、陛下はいつ、いかなる時にありましても、国民と喜びや悲しみを共にするお気持ちの下に温かいお言葉で国民を励まし、労い、真心を持って勇気と希望を与えてこられました。そして、国民を結ぶ旅は陛下が築かれた象徴としてのお姿であり、大御心の尊さに感謝と崇敬の念を強くいたしております。

 未曽有の災害となりました平成二十三年の東日本大震災では、災害発生から六日目に被災地を励ますお言葉をお伝えになり、三月末から一都六県の被災者をお見舞いする旅を始められました。本県にありましては、津波被害の大きかった北茨城市を行幸啓され、被災者に寄り添って手を握り、悲しみと苦しみを分かち合っていただいたところでございます。

 平成二十七年の関東・東北豪雨による鬼怒川決壊におきましても、本県の常総市をお見舞いになられ、温かな目線とお言葉で励ましをいただきました。他にも全国植樹祭や国際会議、スペイン・ベルギーの国王・王妃陛下のご案内など、本県への行幸啓は十一回を数えております。

 私達は、県内ご訪問における天皇皇后両陛下の優しく包み込む笑顔で県民に接するお姿に、ひとしく深い感銘と新たな希望をいただいたところでございます。

 平成の時代の地域経済は厳しく、多難な三十年でございました。そして今、人口減少と高齢化という構造的な課題に直面しております。しかし、困難な時にこそ陛下の御心にお応えすべく、経済界はもとより県民が力を合わせて課題を克服し、力強い成長を実現していかなければならないと考えております。

 その上で、長い歴史の中で培われてきた美しい自然、変化に富んだ四季、勤勉で秩序を重んじる国民性などに恵まれた日本という国の素晴らしさを、あらためて認識すべきではないかと思っております。

 国家・国民のために捧げられる尊い御務めと御祈りが、これからも末永く続きますとともに、天皇陛下のご健勝と皇室の弥栄を心からお祈り申し上げます。

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岡﨑 彬岡山県商工会議所連合会会長
岡﨑 彬

天皇陛下御即位三十年に寄せて

 天皇陛下におかれましては、新春に御即位三十年を御壮健にてお迎えになられ、また、本年は天皇皇后両陛下の御成婚六十年という誠に慶賀にたえない年にあたり、ここに謹んで祝意を申し上げます。

 当地岡山は、天皇陛下の姉君順宮厚子内親王様が池田家に御輿入れされた地として、皇室の皆さまとはとりわけご縁が深く、さらには岡山の経済界が主となりまして、平成二十七年より三年間に亘り「岡山後楽園 春の園遊会」を開催いたしました際には、毎回厚子様の来臨を頂戴するとともに、ご丁重なるご交誼をいただきました。

 厚子様とお言葉を交わす中で、天皇陛下が、平成十二年、地方事情御視察のために岡山に行幸啓いただいた際には、当時、築庭三百年を迎えておりましたこの後楽園にて能の御鑑賞とともに、秋の気配に満ちた美しい園内を御散策頂いたことを思い起こした次第です。

 また、平成十七年第六十回国民体育大会「晴れの国おかやま国体」にも開会式や競技会に御臨席を賜り、御挨拶とともに選手に御声援を送っていただいたこと、お通りの際の沿道において小旗を打ち振る人々へ優しい笑みにてお応えをいただきましたことは忘れがたき思い出となっております。

 天皇陛下は、平和のもとで繁栄を遂げた平成の御代が、先の大戦で犠牲となった方々の尊い献身の上に築かれたものであることに思いを馳せられ、広く国内外に慰霊のため赴かれ、祈りを捧げていらっしゃいました。そして、大災害に際しましては、常に被災地をお見舞いになり、被災者に寄り添い暖かい言葉でお励ましくださいました。

 平成三十年七月の西日本豪雨災害におきましては、甚大な被害を受けた倉敷市真備地区を見舞いのために遠路お出ましくださり、過密な日程の中、お疲れをおして被災者や搜索・救護に当たる関係者皆に慰労と励ましのお言葉をかけていただきました。甚大な被害を受け疲弊した人々が、いかにお言葉で癒され、復旧・復興に向け希望と勇気を頂いたことか、言葉では尽くし切れないほどの感謝を申し上げます。

 今春に控えた皇位継承は、今を生きる国民にとりましては極めて歴史的で重要な行事となります。国民とともに歩んでこられたこれまでの御聖徳に改めて感謝の誠を捧げますとともに、天皇皇后両陛下の御健勝と皇室の御繁栄をお祈り申し上げます。

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岡村 正日本商工会議所名誉会頭
岡村 正

心のゆたかさ

 敗戦の痛手を乗り越えて、我国における「ものづくり」が、品質とコスト両面で世界を凌駕し、「JAPAN as No.1」と言われる時代になったのは、一九七〇年代から八〇年代にかけてのことであるが、日本製品の優れている点はどんなところにあるかと両陛下からご質問をいただいたことがあった。

 品質については日本人特有の正確さに対する感覚の鋭さと、米国で開発された品質管理手法を日本企業が導入に取り組んできた成果であり、一方コストについては生産設備の稼働率を上げることに専心し、一日二十四時間フル稼働させて、三交代や四交代の交代勤務を実施し、実績を上げていると申し上げた。このお話をし終えた時、両陛下のお顔が少し曇られたことを記憶している。製造業に携る人間としては、三交代、四交代は当り前のことと思っていたが、両陛下のご感想は、「深夜や早朝に働くことは大変でしょうね。お子様もご両親と一緒の時間が少なく、さぞ淋しいことでしょう。」とおっしゃられ、そのご返答に窮した。「条件の厳しい職場や、深夜、早朝まで働く人々には処遇を良くして頑張ってもらっています」とお答えしたが、十分ご納得いただけなかったのではと感じた。家庭生活のゆたかさは家族揃って団欒できる時間が大事であるとのお考えであり、経済面のゆたかさだけではないということを我々に説かれたのであろうと赤面のいたりであった。

 戦後、大戦の戦場へ幾度と無くおでかけになり戦死者を追悼され、また被災地では直接慰めてこられたのも「心のゆたかさ」を大事にされる両陛下のお気持ちであり、我々も決して忘れてはならない。

 平成十三年に陛下は、
年まさる二人の孫がみどり児に寄りそひ見入る仕草愛らし
という御製を詠まれている。ご家族への深い愛情が心に染みわたる。

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岡本 直之三重県商工会議所連合会会長
岡本 直之

国民に寄り添い続けられる天皇陛下に心より感謝申し上げます

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年をお迎えになられましたこと、心よりお慶び申し上げます。このたびは代表委員としてお祝いできますこと、誠に光栄の至りに存じます。

 御即位からの三十年間を顧みますと、我が国は好不況の大きな波の中でも着実に発展を遂げてまいりました。しかし一方では、阪神淡路大震災、東日本大震災など大規模な自然災害も発生し、多くの困難に直面した時代でもありました。

 このような中、両陛下におかれましては、常に国民に寄り添われ、国民の幸せと国家の繁栄、そして世界平和を願われ、広いお心と優しいまなざしで国民に接してこられました。殊に、宮中でのご公務、諸外国へのご訪問、地方事情のご視察などご多忙の中、自然災害で被災された地をご訪問され、犠牲者を悼み、被災者を慰め、励まされてこられました。両陛下のお言葉には、多くの国民が勇気と希望を頂きました。

 また御即位以来、全国各地を巡回され地域の様子をご覧になってこられる中で、三重県につきましても四度のご来県をいただきました。即位の礼直後の平成二年、第六十一回式年遷宮後の平成六年、看護大学や養護学校などもご視察された平成十三年、そして第六十二回式年遷宮後の平成二十六年でありますが、神宮の身近に居る三重県民は、両陛下に特段の思いを持っております。

 私は、かつて近畿日本鉄道㈱に勤務していた折、名古屋駅から宇治山田駅までの「お召列車」に秘書課長として同乗する栄に浴しました。およそ一時間半、両陛下は海側と山側に分担され、日の丸を持った沿線の方々に微笑みながら終着駅までずっと立ち通しで手を振り続けておられました。確か陛下は立ったままでコーヒーを飲んでおられました。その誠実なお人柄に深く感銘を受けたところであり、そのときの様子を今でも鮮明に覚えております。

 本年四月には、天皇皇后両陛下の神宮参拝が予定されております。私ども三重県民は、両陛下への感謝の気持ちを込め、心より歓迎をさせていただきたいと思います。

 三重県商工会議所連合会は県内十二の商工会議所が互いに連携し、行政や関係機関と協力しながら、地域の発展を目指し活動しております。今後も『地方経済の力強い再生と活力ある地域づくり』に向け邁進してまいる所存でございます。

 結びに、天皇皇后両陛下の益々のご健勝と皇室のご繁栄を心よりお祈り申しあげまして、感謝とお祝いの言葉といたします。

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鎌田 宏東北六県商工会議所連合会会長・仙台商工会議所会頭
鎌田 宏

東日本大震災からの復興へのお支えに感謝を込めて

 天皇陛下御即位三十年にあたり、謹んでお祝い申し上げます。

 平成年間を振り返りますと、バブル経済の崩壊、米国に端を発する金融危機など経済の混乱に加えて、世界各地におけるテロの頻発、さらに国内では阪神・淡路大震災と東日本大震災という国難とも言える大災害の発生など、まさに激動の三十年であったものと存じます。

 こうした激動の時代にあって、天皇陛下には日本国及び日本国民統合の象徴として、積極的に国民の声に耳を傾け、思いに寄り添うことが大切であるとのお考えのもと、ご公務をお務めになられてこられました。

 特に、平成二十三年三月の東日本大震災では、陛下には震災直後の三月十六日に六分間に及ぶビデオメッセージで被災者を激励してくださいました。「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切である」「被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう…心より願っています」とのお言葉により、大きな視点で国難に立ち向かう日本国をおまとめになられました。

 また、天皇・皇后両陛下には三月末から七週連続で、福島・宮城・岩手の被災三県などの避難所を訪問され、その後も被災地を常にお気にかけてくださいました。そのお姿によって、どれほど多くの方々がどん底の状態から希望を見出すことができたか、はかり知れません。

 私ども商工会議所としましても全国の商工会議所の支援をいただきながら、経済の側面から復旧・復興を後押ししてまいったところでありますが、こうした心の復興なくしてこれほどまでの再興はなし得なかったものと深い感謝の念を抱かずにはいられません。私どもも復興を成し遂げることはもちろん、さらにその先の希望に満ち溢れた地域づくりに邁進してまいる所存であります。

 結びに天皇・皇后両陛下の末永いご健勝を祈念申し上げますとともに、今春の御代替りにより開かれる新たな時代が、日本国民にとりまして安寧と幸せに恵まれることを祈念申し上げまして、御即位三十年奉祝の辞といたします。

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北村 正博一般社団法人長野県商工会議所連合会会長
北村 正博

天皇陛下御即位三十年への奉祝に込めて

 今般、天皇陛下におかせられましては恙無く御即位三十年を御迎えあそばされ、誠に以て慶祝の極みと心得、謹みて衷心より深甚なる御祝詞を申し上げます。就中、此度の佳節に想いを馳せる時、来たる四月三十日には陛下御自身が御譲位に及ばれ、翌五月一日には新天皇陛下の御即位により新たな元号が創設され文字通りの新時代の幕が開き、更には四月十日を以て御成婚六十周年を御迎えあそばされる一連の過程での賀事ゆえに、筆舌に尽くし難き万感の情を禁じ得ぬ次第にございます。

 当平成の時代には、三年の雲仙・普賢岳の噴火に始まり、五年の北海道南西沖地震と津波、七年の阪神・淡路大震災、そして二十三年の東日本大震災といった大規模な自然災害が発生致したことは衆目の認知致すところであり、直近の昨平成三十年度に於きましても、六~七月の集中豪雨被害や九月の北海道胆振東部地震等々に加え波状的な台風の上陸もあり、例年にも増して数多の大災害に見舞われましたが、その都度陛下には皇后陛下共々時宜を得て一早く現地を御慰問あそばされ、被災民に対し膝を突き合わせ同じ目線で、無上の御温情を以て御真摯に御言葉を御掛けになっておられました。私自身、時下の報道等で両陛下の御姿を拝見致す度に感涙極まる心情に立ち至ったことを想い起こします。

 最近では、去る平成二十八年に三大行幸啓の一である第六十七回全国植樹祭が当県において開催され、両陛下の親臨を得た長野市での式典には私も末席を汚し、我が人生最良の想い出となっております。

 両陛下と当県との浅からぬ御縁で忘れてならないのが巷間「テニスコートの恋」と称されるエピソードであり、昭和三十二年八月十九日軽井沢会テニスコートでの試合における対戦相手として初めての運命的な御出逢いを果たされました。当地はまた、両陛下御馴れ初めの場であると同時に、今日に至るまで毎年のように両陛下とご家族各位が揃って御越しいただく避暑地でもあり、住民挙げて熱烈此の上無き歓迎を申し上げ、恐れ多くも皇室が名実共に国民と在る特別な舞台と思料致します。正に私が長野県民の一人であることに至上の誇りを覚える所以にございます。

 結びに、僭越極まる言辞と相成りますが、天皇陛下におかせられましては、皇后陛下共々に、向後も御自愛の極みを尽くされ、御退位後も引き続き国父と国母の御立場から国民永劫の安寧と世界の恒久平和を確と御守護賜わらば望外の幸甚に存じ上げます。

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小林 茂株式会社浜屋代表取締役
小林 茂

感謝

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年をお迎えになられ心よりお祝い申し上げます。

 天皇皇后両陛下が、東日本大震災をはじめ大きな災害があった時に、全国の被災地に自ら足を運び、被災者に寄り添い、その身を案じ、慰めと励ましのお言葉をかけられたことに衷心より感謝申し上げます。

 私も国民の一人として、また一人の会社経営者として、大災害があった時には、微力ながら被災地の助けになるよう社員や友人とともにボランティア活動等をしてきましたが、そんな時、天皇皇后両陛下が被災者に寄り添う姿をテレビなどで拝見し、どんなに心強かったかわかりません。

 私も荒れ果てた被災地や悲しみのどん底にいる被災者を見るにつけ、自然の猛威の前にわれわれ人間はどんなに無力であるかを痛感いたしました。それでもなお、力を合わせれば何とかなると自らに言い聞かせながら活動しましたが、そんな時、両陛下のお姿からどんなに勇気を頂いたか計り知れません。

 天皇皇后両陛下が一貫して国民に寄り添ってきたお姿は、われわれ国民に計り知れない勇気をお与えになられました。そのことに国民の一人として僭越ながら感謝申し上げます。

 どうもありがとうございました。

 最後に、御即位三十年を心よりお祝い申し上げますとともに、天皇皇后両陛下が、幾久しくご健勝であられることを衷心よりお祈り申し上げます。

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小林 喜光公益社団法人経済同友会代表幹事
小林 喜光

持続可能な社会への思い

 天皇陛下御即位三十年、心よりお祝い申し上げます。

 平成の時代において、天皇皇后両陛下が、様々な宮中行事に加え、国内外にお出ましになり、戦没者慰霊、被災者慰問、福祉施設訪問等を通じて、常に多くの人々に御心を寄せられ、慈愛に満ち溢れた御言葉をおかけになられている御姿を拝見する度に、一国民として大変感銘を受け、両陛下に対する尊敬と感謝の念に堪えません。ここに深く御礼申し上げます。

 さて、私は経済三団体長の一人として、毎年、両陛下との懇談の機会を賜り、現在の経済状況について直接ご進講申し上げる栄誉に浴しました。日本経済が緩やかな回復基調にあるとはいえ、様々な課題に直面している中、両陛下はいつも国民生活の現状に高い関心を寄せられ、時に心を痛められており、経済を牽引する立場にある企業経営者の一人として、私はその責任の重さにいつも身が引き締まる思いを抱きながら、お話しさせていただきました。

 懇談では、皇后陛下が皇居の梅で手作りされた梅ジュースを毎回堪能させていただきましたが、特に印象に残りましたお話は、天皇陛下が古くからの物を大切にされ、修理しながら長く使い続けられていることや、ご養蚕を続けられている皇后陛下が、蚕が桑の葉を食べる「カサカサ」という音に耳を澄まされ、その音色を好まれるなど、自然を大変愛しまれていることでした。

 今、地球は環境破壊、資源枯渇などの問題に直面し、その持続可能性が大きく問われています。そのような中で、わが国が古来より培ってきた「物を大切にする心」や「自然との共生」を、両陛下が自ら体現されていることは、微力ながら「地球と共存する経営」を目指してきた私にとって、あらためて勇気を与えられるお話でした。持続可能な社会の実現が求められている中、今こそわが国が世界を主導して課題解決を図る時であり、私自身も次世代に負担を先送りせず、より良い地球を引き継いでいくという覚悟の下、今後も全力を尽くしていくことをここにお誓い申し上げます。

 まもなく新しい時代を迎えようとしていますが、日本国と日本国民統合の象徴である天皇皇后両陛下は、平成の時代を生きる我々国民の希望と誇りであります。両陛下が国民に温かく寄り添われてこられたことに、あらためて御礼申し上げますとともに、両陛下のご健康と皇室の末永いご繁栄を心よりお祈り申し上げ、御即位三十年のお祝いの言葉とさせていただきます。

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島田 嘉内第一酒造株式会社代表取締役会長
島田 嘉内

天皇陛下御即位三十年を奉祝して

 今上陛下におかれましては御即位三十年の佳節を迎え、さらに二百年振りとなる御譲位が予定されており、秋には一代一度の盛儀であります新帝の大嘗祭が斎行されます。

 誠におめでとうございます。

 平成の大御代を振り返りつつ、改めまして陛下に感謝の誠を捧げます。顧みますれば昭和二十年、太平洋戦争が昭和天皇の玉音放送で敗戦を知らされたところであります。当時陛下におかれましては中学生の頃と思います。私も畳の上で正座して聞きました。

 連合国軍最高司令官としてマッカーサーがまいりました。そして新憲法が連合軍の立会いのもと制定され、国家元首であらせられた天皇陛下が、象徴天皇になられました。それから宮内庁、そして皇室は象徴天皇としてどうあるべきか苦悩を深められたことと推察いたします。そして陛下も青年期になりまして象徴天皇についてお考えになられ、小泉信三先生の講義、会話等であるべき姿を描かれたのかと思います。

 皇后陛下と結婚され、道なき道を探して行くのは苦悩の連続であったと思います。

 私も天皇の国事行為の一つである栄典の授与によりまして褒章をいただきました。

 皇居で行われ、豊明殿に大勢の表彰者が入りました。しかしながら水を打ったような静けさ。宮内庁係員より十分ほどで陛下が入場されますとのアナウンス、全く静か。

 両陛下が入場されます。お立ち台は表彰者より気持ち高いところでお言葉をいただきました。同じ目線で接してくださっていると感じました。両陛下は表彰される人の中を通り抜けて退場されます。その途中お会いする人にお声掛けをされます。それも身体的弱者や車いすの方への気配りを感じます。そして皇后陛下の綺麗なお言葉、優しさ、相手を思いやるしぐさ、気遣いは夢の世界です。また褒章を受ける人も両陛下から御光を感じるのは当然であります。国民を思い、国民を励まし、国民を勇気づけ又やる気にするのは両陛下にしかできません。象徴天皇として初めてのことですが理想的な両陛下でございます。

 両陛下におかれましては象徴天皇としてどうあるべきかを常にお考えになりまして被災地の皆様にお気配りをされ勇気を引き出されてまいりました。素晴らしい両陛下に万歳三唱をして感謝の言葉とさせていただきます。天皇陛下万歳、万歳、万歳。

 どうぞこれからもお体に気をつけて人生を楽しんでいただきたいと思います。

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進藤 孝生新日鐵住金株式会社代表取締役社長
進藤 孝生

御即位三十年をお慶び申し上げて

 天皇皇后両陛下が御即位三十年をお迎えになりましたことを心よりお祝い申し上げます。

 天皇陛下におかれましては、皇太子殿下の時代から、全国にあるわが社の製鐵所・研究所へ幾度となくご視察賜り、その数、既に十を超えることは、この上なく光栄なことと感謝申し上げます。近年では、千葉県に立地するわが社の君津製鉄所へ行幸くださり、現場で日夜汗を流し製造現場を支える社員に激励のお言葉を頂戴しました。わが社の社員一人ひとりにとりまして、わが国のものづくりを鉄鋼業という根底から支え、日本の経済発展と安心・安全な人々の暮らしに貢献していくのだとの決意を新たにするとともに、大いなる励みを頂く機会となったものと、感謝申し上げる次第です。

 また、天皇皇后両陛下、皇太子同妃両殿下をはじめ皇室の皆様の、音楽等の芸術・文化に対するご造詣には感銘を受けるところであります。数あるホールの一つとして、わが社の紀尾井ホールにも度々お運び頂き、室内楽をはじめとする様々な公演を鑑賞頂きましたことは恐縮至極であるとともに、演奏者に対する激励にもなったものと存じます。わが社は本ホールの運営にあたり、音楽分野の芸術家育成や優れた音楽活動に対する支援等を通じ、わが国の音楽文化のさらなる発展を目的とする公益財団を設立致しましたが、今後も同財団を通じ、わが国の芸術文化の発展にも貢献していくべく努力いたす所存です。

 さて、平成の御代は、世界の政治・経済にとって激動の時代であったと認識しております。わが国でも多くの自然災害が発生し、各地に甚大な被害をもたらしました。そのような中、東日本大震災発災後には、天皇皇后両陛下におかれましては、多忙を極めるご公務の間を縫って、当社が製造拠点を置く釜石市も含めた被災地を精力的にお見舞い頂きました。ご訪問の度に、各地で被災者に寄り添い、慰められるとともに、災害の復旧に向けて尽力する関係者に対して温かい労いのお言葉をかけられるお姿を、私は幾度となく拝見してまいりました。国の安寧を祈り、国民一人ひとりの立場に立って分け隔てなく慈しみ深く寄り添われるそのお姿は、わが国の国民のまとまりの中心におられる天皇陛下、まさに“象徴天皇”としてのお姿を体現し、確立されたものと思う次第であります。

 天皇皇后両陛下と皇室の弥栄を心より祈念申し上げます。

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菅原 公一(株)カネカ代表取締役会長
菅原 公一

天皇陛下とカネカ

 顧みますれば、経済動向はもとより、自然環境や社会の変化を含め、とても平穏とは言い難い平成の三十年間、常に国民生活の安寧を保つことに気を配られておられる、天皇皇后両陛下には衷心より感謝申し上げます。両陛下に見参の栄に浴したエピソードをもって、御在位三十年のお祝いとさせていただきます。

 カネカは、昭和三十三年十月三十日、当時の皇太子殿下を高砂工業所にお迎えしております。兵庫県の産業・社会施設視察に際し、当時は国家的な注目産業であった、化学会社の一社に弊社をお選び下さいました。当日は、化成品、樹脂、石鹸、油脂、合成繊維の各工場を一時間に渡りご視察なさいました。特に合成繊維には強い関心を持たれ、オーストラリアの羊毛政策に対し、日本では合成繊維をはじめとして国内資源を原料とした事業をもって、どのように立国していくか、そのためには、電源開発なども更に進めないといけないであろうと、化学産業に対する大いなる期待を語られたそうです。この合成繊維カネカロンは、現在、人毛ライクな頭髪用途からエコファーまで世界中で広く使用される弊社の主力製品の一つに成長しております。以降、日本の化学産業の目を見張る成長は、殿下がお考えになられた日本の立国を形作るひとつの結果であると考えます。

 私は、日本・ベルギー協会会長の任にありますことから、両国の外交関係樹立百五十周年の平成二十八年が記憶に新しいです。当年「日本・ベルギー友好百五十周年」が両国で組織され、日本側の名誉総裁に天皇陛下が御就任されました。フィリップ国王、王妃の来日をはじめ、数多くの事業が開催され、大いに両国の親交を深め、国民のベルギー王国への理解も深まりました。特に十月十三日の皇族方お出ましのコンサートの素晴らしい演奏と空気感が今でもよみがえってまいります。弊協会の名誉総裁には常陸宮殿下に御就任いただいており、皇族の皆様には大変なご恩を受けております。

 また、平成三十年三月十九日のベルギー王国大使館にてのコンサートに皇后陛下が行啓され、参加の各人に大変親しみのあるお声をおかけ下さり、加えて素晴らしいピアノ演奏をなさいましたことも忘れえぬ思い出でございます。

 日々国民のためにとのお勤めを続けられ、平成の時代に幕を下ろされる天皇陛下のお心に、畏敬の念を抱きつつ、皇室の弥栄を祈念申し上げますとともに、日本国の繁栄にむけて、引き続き力を尽くしてまいります。

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曽我 孝之一般社団法人群馬県商工会議所連合会会長
曽我 孝之

お優しい大御心に感謝とお礼を

 私の郷里群馬県は、皇后陛下の御実家である正田家の出身地にあたります。両陛下の御成婚の報に、県民は歓喜に沸きあがりました。昭和三十四年一月八日、御両親とともに館林市の正田本家をご訪問された際に、皇后陛下が疎開中に通学された館林南小学校の児童らが“美智子様万歳”と何度も祝福しておりました。

 私は昭和三十四年四月十日慶應義塾大学の入学式のため、父とともに東京駅に降り立ち、御成婚のパレードを拝見しました。六頭立ての馬車に乗られたお二人の満面の笑顔は今でも忘れることが出来ません。

 皇后陛下は日清製粉グループの正田英三郎氏の御長女であります。畏れ多くも、私は家業が同業である御縁を感じ、この時大学で勉学に励み地域を担う経営人になることを誓いました。私の「立志」の時でした。

 皇太子御夫妻として初めての御来県は、昭和四十四年に開催された全国高等学校総合体育大会でした。レスリング競技が館林市で開催され、競技をご観覧の折に、日清製粉館林工場にも立ち寄られ、ご案内役はご尊父正田英三郎氏がお務めになられた報道は、私の記憶にとても強く残っております。同五十八年には国民体育大会「あかぎ国体」が開催されました。冬季大会開会式のお言葉で、群馬県で冬季、夏季、秋季と完全国体が行われることを「スポーツ県・群馬」の県民の協力によるものと激励していただきました。その際、前橋市の県水産試験場を視察され、淡水魚の研究家として知られる皇太子殿下はアユのエサであるワムシを顕微鏡でお覗きになり、妃殿下に「のぞいたら」とお声をかけられました。秋季大会終了後に開かれた第十九回全国身体障害者スポーツ大会「愛のあかぎ大会」では、競技をしている選手たちの中に入られ、激励されたお姿を拝見いたしました。妃殿下は冷たい北風が吹くアーチェリー会場で、車いすの女子選手が体を縮めているのに目をとめ、そばにあった毛布を肩におかけになりました。常日頃より国民に心をお寄せいただいている両陛下のお姿の一端を拝見させていただいた一幕でございました。

 天皇皇后両陛下として群馬県へのお出ましは十四回に及びます。初めての御来県は、平成十年の第四十九回全国植樹祭でした。植樹祭と視察を終えられ、「首都圏に近く、しかも、山や川の豊かな自然に恵まれたこの県で、人々が県の特性を生かして、県民の生活をより豊かなものにするために様々な努力を払っていることに印象づけられました」「各地で受けた県民の歓迎に感謝し、県民の幸せを祈ります」とのご感想を賜りました。

 お優しい大御心に感謝とお礼を申し上げ御挨拶とさせていただきます。

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谷村 邦久岩手県商工会議所連合会会長
谷村 邦久

希望郷いわて国体・いわて大会開催時の思い出

 天皇陛下におかせられましては、本年一月七日、御即位三十年を迎えられましたこと、日本国民の一人として心より奉祝申し上げます。

 平成二十三年三月十一日の東日本大震災発災に際しましては、震災状況のご視察のため平成二十三年五月、平成二十五年七月と二度にわたりご来県になられました。各避難所での両陛下のお姿、激励のお言葉、やさしい笑顔に、被災者はじめ県民がどんなにか励まされ、勇気づけられたことでしょうか。

 平成二十八年十月に開催された「希望郷いわて国体・いわて大会」の際にも、一連の行事に先立ち避難所や復興した施設などを再びご訪問になられ、ねぎらいのお言葉をかけられました。このような両陛下のお人柄をしのばせる場面は枚挙にいとまがなく、国民が親しくお慕い申し上げる由縁であります。

 雲一つない秋晴れのもと、両陛下がご臨席され挙行された開会式では、七百名による盛岡さんさ踊りの大群舞等のいわての郷土芸能や高校生の合唱を熱心にご覧になられ親しく県民と心を通わされました。

 開会式後に花巻温泉「ホテル千秋閣」で開催された全国のスポーツ関係者との懇談会におきましては、私は岩手県ボート協会会長として出席させていただきましたが、天皇・皇后両陛下と親しくお話しする機会に恵まれ、この上ない幸福でした。両陛下とひとりで個別にお話しするというのは常識では考えられないことだそうですので、私はそれをやってしまい、あとから聞いてびっくりしました。そういえば天皇陛下の列に並んでいたとき、警護の方から、皇后陛下とお話しをしたのだから天皇陛下とは遠慮するようにとの意味でありましょう、袖を二、三回引っ張られましたが、何とかお願いし私で最後ということで無事お話しをすることができました。ともあれ私にとりましては一生忘れられない思い出でございます。

 むすびに、両陛下におかれましては一層健やかにあられることを念願いたし、皇室を中心に悠久の歴史と伝統を誇る日本国と皇室の弥栄を心よりお祈り申しあげます。

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塚田 征二株式会社裕生堂代表取締役会長
塚田 征二

天皇陛下御在位三十年に感謝して

 天皇・皇后両陛下におかれましては、御即位三十年のご慶賀をお迎えになられ、謹んでお慶び申し上げます。常に国家の安泰と国民の安寧を祈念され、国民の喜ばしき時も悲しみに暮れる時も、その声に耳を傾けられ、その思いに寄り添い戴いておりますことに、国民のひとりとして深く感謝申し上げます。

 平成の三十年間に我が国は多くの自然災害に見舞われました。改めて申すまでもありませんが、未曽有の被害をもたらした大地震、平成七年の阪神・淡路大震災や平成二十三年の東日本大震災をはじめとする地震災害、台風・豪雨などによる災害も各地で発生しました。九州でも平成十七年に福岡県西方沖地震、平成二十八年に熊本地震、平成二十九年に九州北部豪雨、平成三年には雲仙普賢岳の大噴火もございました。

 自然の起こす事とはいえ、被災者はその不条理さに落胆し疲弊を極めていく、そんな被災地に天皇・皇后両陛下が行幸啓され、現場の様々な思いを一身にお受け止めになり、細やかな御心遣いで被災者を労られるご様子に敬服いたし、そして災害の記憶を後世に伝える事や、防災のための日頃からの訓練や教育の重要性を述べられた陛下のおことばを胸に刻んだ次第です。

 また、忘れる事なく語り継ぐべきものは過去の戦争の惨禍も同じでありますが、陛下もその大切さを述べられています。沖縄、サイパン、ペリリュー島、パラオ、フィリピンなど戦争犠牲者の慰霊のための行幸啓にて、戦後も残る深い苦しみや悲しみを共有され、平和への祈りをお捧げ続けていらっしゃる陛下の御姿勢には万感胸に迫る思いがいたします。

 本年は御代替わりが行われ平成の時代から新しい時代へと我が国も歩んでまいります。来年には東京オリンピック・パラリンピックも開催されます。スポーツを通しても、世界の人々の平和への思いが一つにならんことを願って止みません。

 終わりになりましたが、これからも天皇・皇后両陛下をはじめご皇室ご一家がお健やかにお過ごしになられますことを、またご皇室の末永きご繁栄を心よりご祈念申し上げます。

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中西 宏明奉祝委員会名誉会長日本経済団体連合会会長
中西 宏明

日本経済の力強い再生と活力ある国づくりに邁進

 経団連会長の中西でございます。

 本日、この場に各界代表が相集い、天皇陛下の御即位三十年奉祝委員会の設立を見ましたことは、崇高にして意義深いものであります。

 この度、奉祝委員会の設立にあたり、図らずも名誉会長にご推挙頂き、各界代表の皆様方と共に奉祝運動に参画できますことは、誠に光栄の至りです。全力を尽くし、この重責を全うする所存です。

 平成の三十年間、内にあっては少子高齢化、外にあっては新興国経済の勃興により、日本経済は、まさに「雌伏」の時代に直面しました。このような中にあって、陛下は、「人々の傍らに立ち思いに寄り添う」ことを常に大切になされつつ、広く世界の平和と人々の安寧を祈ってこられました。

 厳しい時代にあって、国民の分断を招かず、世界に今なお、経済・外交面で、確かな存在を保つことができておりますのも、陛下のご事跡によるものと、経済界に身を置くものと致しまして深く感謝申し上げます。

 さて、日本経済は、いよいよ「雌伏の時」から脱却し、新たな成長のステージを迎えようとしています。人類社会は、狩猟社会、農耕社会、工業社会、情報社会へと発展してまいりました。いま、デジタル革新をきっかけとして、社会が大きく変化しようとしております。まさに、第五段階の新たな社会、Society5.0へと突入しつつあります。

 世の中では、雇用の喪失やデータの囲い込みによる格差の拡大、プライバシーのない監視社会の到来など、デジタル化による暗い未来を予想し、これを懸念する声も聞かれております。しかし、IoTやAI、ロボティクスの活用により人が単純作業から解放される時代だからこそ、人が人ならではの創造性を発揮し、技術を使って新しい未来社会を創造していくことが可能になると、前向きに考えております。

 Society5.0では、デジタル革新を人々の多様な幸せ追求のために活用していきます。そこで、経済界は、デジタル化の波をしっかり受け止めて、「こういう明るい社会を創造していく」という、未来に向けたポジティブなコンセプトを日本から世界に発信しています。

 また、Society5.0は、経済成長だけでなく、社会課題の解決や自然との共生を目指しています。Society5.0の実現により、国連が掲げる持続可能な開発目標「SDGs」の達成にも貢献することができます。経済界は、目指すべき具体的な社会像を、「Society5.0 for SDGs」の社会と位置づけ、日本の経済社会の変革を先導してまいります。

 今、求められているのは、日本経済の力強い再生と活力ある国づくりです。経済界を代表して、今上陛下の宸襟を安んじるよう、また、来年五月の皇太子殿下のご即位を言祝ぐよう、Society5.0を旗印として、新たな経済社会の構築に全力を挙げて邁進することをお誓い申し上げ、結びといたします。

 ご清聴、誠にありがとうございました。

 (平成30年11月27日 天皇陛下御即位三十年奉祝委員会設立総会 祝辞 より抜粋)

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中村 太一徳島県商工会議所連合会会長
中村 太一

奉祝 天皇陛下御即位三十年

 天皇陛下が御即位されて三十年を迎えられましたことを心よりお祝い申し上げます。

 平成の三十年間を顧みますと、国の内外において様々な出来事がございました。我が国においては、バブル経済の崩壊に端を発した長期の経済不況が発生しましたが、一方で花の万博、長野オリンピックや日韓共催サッカーワールドカップなど大きな国際イベントが開催され、皇太子殿下の御成婚という喜ばしい出来事もございました。国外においては、平成の初期に東西冷戦構造は終結したものの、その後も国際情勢は安定せず、米国同時多発テロ事件など痛ましい出来事が数多く発生し、現在も多くの国際問題が生じています。ただ、昭和期と比して我が国が平和を享受したことも事実であり、ノーベル賞受賞者が輩出される等の輝かしい科学技術・文化の発展もございました。

 また、平成の時代は、日本各地における大規模自然災害が多く発生するなど、困難な事態もございました。そのような状況の中、陛下は常に被災地に御心を寄せられ、復興を願う温かい御言葉を掛けられております。被災者に寄り添われるその御姿に、国民一人一人が大きな力をいただきました。更に、障がいのある方や高齢者の医療・福祉施設などを視察され、温かく国民を見守って下さいました。

 特に本県におきましては、天皇陛下御即位直後の平成元年に開催されました全国植樹祭に御臨席を賜りました。自然を大切にする心を培う契機となりましたことは、県民にとりまして誠にありがたく、大きな喜びでありました。また、その後の御来徳の際にも、多くの県民に親しく接していただき、その細やかな御心遣いにどれほどの強い感銘を受けたか、言い表すことはできません。この機会をお借りしまして、心から感謝申し上げる次第であります。

 更に、象徴天皇として世界各国を訪問されました。平和国家として歩む日本の姿を世界の人々にお示しになられ、親善に努められる陛下の御姿に、私どもは深く感謝の意を奉げたいと存じます。

 現在、我が国は、海外情勢や国内に多くの課題を抱えておりますが、陛下の国民を思う御心に沿うべく、私どもは地域の皆様とともに最大限の努力を傾注してまいる所存でございます。

 陛下は、ご自身のご希望により間もなく退位されますが、これまでの両陛下の恩寵に深く感謝申し上げますとともに、天皇皇后両陛下の益々のご健勝と皇室の弥栄をお祈り申し上げ、お祝いの言葉といたします。

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新浪 剛史(株)サントリーホールディングス代表取締役社長
新浪 剛史

家宝なる思い出

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年をお迎えになられましたことを、謹んで、心よりお祝い申し上げます。

 私のような若輩者が、両陛下に拝謁する栄に浴することができましたことは、今も胸が熱くなるかけがえのない思い出でございます。園遊会には二度ほどお招きを頂戴しました。前職のコンビニエンスストアチェーンの代表として、お客様の便利につながる新しい活動を相次いで実施していた頃で、両陛下から「コンビニエンスストアも、色々なサービスをされていますね。ご苦労さまです」という、身に余るお言葉を賜りました。

 両陛下が私のような者の仕事をご理解されておられることに驚くとともに、やさしく接して戴いた、その暖かさに、言葉にできない感動がこみ上げ胸が一杯になりました。

 海外に飛び出したり、小さな会社を経営したり、私は若い頃から仕事ばかりで親孝行とは無縁の人生でした。しかし、両陛下からお言葉を賜ったことを両親に報告した時には、普段は無口な父親が「うちの家宝だ」と、手放しに喜んでくれました。それが、私の中で最高の親孝行でした。それでも心残りがひとつだけあります。園遊会で下賜されました和菓子を、甘党の私は全て自分で食べてしまったのです。あの和菓子を、あれほど喜んでくれた両親と一緒に味わえばよかったと、そんなことがしみじみと思い起こされます。

 平成という時代を振り返りますと、国民の暮らしをいつも叡慮され、国民に寄り添われる両陛下の大御心が、日本という国をやさしく包み込んでいたのだと、改めて両陛下への感謝の想いを新たにせずにはいられません。

 私は海外で仕事をすることも多く、それにともなって、否応なく日本人のアイデンティを問われる場面に遭遇します。その時にはいつも、両陛下の存在が日本人にとってかけがえのないものであり、私たちの誇りであることを痛感致しております。

 両陛下の大御心に包まれる、この日本に生まれ、陛下と同じ時代を生きていることに、心から感謝の誠を捧げたいと存じますとともに、両陛下の御健康と日本国の隆盛を祈念いたします。

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古瀬 誠島根県商工会議所連合会会頭
古瀬 誠

インドの菩提樹を通して

 天皇陛下におかれましては、御即位以来三十年という大きな節目の年を目出度くお迎えになりましたこと、謹んでお祝い申し上げます。

 この三十年間、国事行為などの御公務、行幸啓、外国御訪問などの沢山の御任務を、誠心誠意を尽くして遂行なさってこられましたお姿に、いつも心からの感動を覚えておりました。

 中でも、この国が大きな災害を受けた際には、各被災地を見舞われて、被災された方々にお心をお寄せになり、温かい励ましの言葉を頂きましたことは、被災された方々だけではなく、多くの国民が感銘を受けました。衷心より感謝申し上げます。

 天皇陛下におかれましては、私の地元であります島根県には過去五回、御来県頂きました。平成十五年の『全国豊かな海づくり大会』に御臨席の折には、道路状況が思わしくない山陰特有の事情もあり、お召し列車が運行され、両陛下は私たち県民の歓迎に対しまして、にこやかに手を振りお応えくださいました。

 平成二十一年、有難いことに私は秋の園遊会にお招き頂くという機会を頂戴しました。招待者一人ひとりに対して優しく真心のこもったお言葉をかけられるお姿を間近で拝見し、大変感動したことを昨日のことのように覚えております。

 現在、私は「中海・宍道湖・大山」圏域の一体的発展を目指す活動に携わっており、その中でインドとの地域間交流を続けております。

 その関係で、在日インド日本国大使公邸を訪問しました折、庭園に見事な「菩提樹」が枝を広げておりました。その菩提樹は、五十九年前(昭和三十五年)、天皇皇后両陛下が皇太子同妃両殿下として訪印された折に御植樹になったと大使からお聞きしました。

 その後、幾度も公邸を訪問しておりますが、その菩提樹を目にする度に、皇室を持つ日本という国の素晴らしさを実感するのであります。

 長い歳月をかけて見事に育った「菩提樹」を通して、両陛下が今春御結婚六十年をお迎えになることと想いが重なり、昨秋訪問時には改めて感動が込み上げてまいりました。

 最後になりますが、御在位三十年を寿ぐにあたりまして、天皇陛下皇后陛下に対しまして心から感謝をささげますと共に、一層の御健勝と皇室のいやさかをお祈りし、お祝いの御言葉といたします。

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三浦 廣巳秋田県商工会議所連合会会長
三浦 廣巳

地域の元気創出に向けて

 天皇陛下が御即位三十年を迎えられましたことを、心よりお祝い申し上げます。

 平成の時代になり、三十年が経ちました。振り返りますと、まさに激動の三十年でした。この間、バブル崩壊、リーマンショック、大規模自然災害の多発など、我が国の経済に大きな影響を与える出来事が続き、国民を取り巻く環境は目まぐるしく変化してまいりました。

 なかでも、平成二十三年三月十一日に発生した東日本大震災は、未曾有の被害をもたらし、国民が悲しみと厳しい状況に直面するなか、天皇皇后両陛下におかれましては、被災地へ駆けつけ、被災された方々の手をお取りになり、励ましのお言葉をかけていただきました。そのお姿に多くの国民が困難に立ち向かう勇気をいただくとともに、深い感動を覚えました。

 震災から八年近くが経ち、復興はまだ道半ばではありますが、この国難を乗り越え、我が国のさらなる発展に向かうため、我々中小企業の経営者は、しっかりと地に足を着け、中小企業としてのあり方を認識し、私たちの故郷、次世代を担う子供たちを育んでいく秋田の創造に邁進することが、両陛下のお気持ちに応えるものと決意を新たにする次第です。

 我が国では、人口減少などによる人手不足の解消に向けて、働き方改革や外国人材の受入拡大などの環境づくりが進められております。また、米中貿易摩擦をはじめとする国際情勢が世界経済に影響する一方で、十一か国によるTPPと日EU経済連携協定が発効し、巨大な自由貿易圏が誕生するなど、経営環境の大きな変化とともに、時代の転換点を迎えております。

 秋田県では、依然として人口減少・高齢化が進み、労働力不足が顕著になる一方で、台湾との定期チャーター便の就航やクルーズ船の寄港が、交流人口の増加をもたらしております。

 このような中で、我々中小企業は、時代の変化に対応しながら、経営の強化や新たな成長に向かって挑戦していかなければなりません。たくさんの課題を抱えておりますが、中小企業の経営者として、自らが行動し魅力ある企業を創り出していくことで、地域の元気を創出してまいる所存です。

 天皇陛下、皇后陛下の益々ご健勝と皇室の益々のご繁栄をお祈りし、お祝いのことばとさせていただきます。

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三村 明夫奉祝委員会会長・日本商工会議所会頭
三村 明夫

皇室を戴く日本に生まれた幸福をかみしめて

 天皇陛下におかせられましては、この度、御即位三十年をお迎えあそばされますこと、先ず以って心よりお祝い申し上げます。

 また、皇室典範特例法に基づき、来春には御位を譲られ、皇太子殿下が第百二十六代天皇にお即きになり、秋には、古式ゆかしく皇位継承儀式が厳粛に執り行われることとなりました。

 この御代替りの佳節を迎え、奉祝委員会の設立をお呼びかけしたところ、全国より各界代表の皆様方にご賛同いただき、本日を迎えました事を篤く御礼申し上げます。またこの度は、図らずも奉祝委員会会長にご推挙をいただき、意義深い奉祝運動に参画できますことは、誠に光栄の至りに存じます。

 ただ今、発表されました奉祝事業が、所期の目的の通り、恙無く達成されますよう、向う二ヵ年、微力ながらその重責を全うする所存でございます。どうぞ皆様方のご支援とご協力のほど宜しくお願い申し上げます。

 さて、平成の幕開けは、東西冷戦の終結に始まり、世界各地で紛争やテロなどが相次ぐと共に金融危機にも直面し、また国内にあっては、政治、経済、社会の各分野でのかつてない厳しい諸情勢に加え、大規模災害が数多く発生いたしました。

 この間、天皇陛下には、いかなるときも国民と苦楽を共にされた父君昭和天皇様の御心を受け継がれ、日本国及び日本国民統合の象徴として三十年間、お務めを果たしてこられました。

 平成二十八年八月、陛下は「象徴としてのお務めについてのお言葉」で次のようにお述べになりました。

 「私は、これまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えてきましたが、同時に事に当たっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えてきました。」

 陛下は、御即位直後より全ての都道府県を訪れたいとご希望され、毎年の全国植樹祭や国民体育大会等のご臨席に際し、その隣接する県をご視察先に加えられ、地域に生活する人々の様子を親しくご覧になってこられました。昨年秋の鹿児島県をもって、二巡目の四十七都道府県全ての行幸を果たされております。

 特に陛下は、阪神淡路大震災や東日本大震災を始めとする大規模災害の被災地に対しては、いち早くお見舞いになって被災民を励まされ、その後の復興を見守ってこられました。行政の力が及ばない、被災民の精神的な支援に大きな力を与えていただいてまいりました。

 また、先の大戦で尊い命を捧げた戦歿者や遺族に対しても深い御心を注がれ、終戦五十年には戦災規模が大きかった沖縄、長崎、広島、東京の各地を、終戦六十年にはサイパン島、終戦七十年にはパラオにと、海外まで慰霊の御旅をお続け下さいました。

 更には、お忙しいご公務の合間を縫って、世界各国との友好親善を進められてまいりました。公式な外国ご訪問は二十八ヶ国に及び、また、来日する数多くの国賓を接遇されてまいりました。世界に誇るべき皇室のご存在が、どれだけ日本の風格を高め、各国から寄せられる好意と尊敬に寄与されているか図り知れません。

 こうした天皇・皇后両陛下の全国各地への行幸啓は、すでに地球十五周半、約六十二万キロを数えます。国の内外への御旅を通じ、天皇陛下は、まさに「内平らかに外成る」「地平らかに天成る」との「平成」の元号に籠められた願いの実現に、御心を注がれてこられたのではないでしょうか。

 そして、来秋には皇太子殿下が、世界に比類ない第百二十六代天皇の御即位を内外に宣明される「即位礼正殿の儀」が古式ゆかしく執り行われます。世界各国から百数十ヵ国の元首が参列され、長い歴史と伝統を誇る日本の国柄を実感されることでしょう。

 私どもは、皇室を戴く日本に生まれた幸福をかみしめ、全国各地で奉祝の機運を大きく盛り上げて参りたいと念願しております。御代替りの奉祝事業を通じ、皇室と国民とを結ぶ敬愛と信頼の絆がなお一層強く揺ぎなきものとなり、国運が隆昌し、世界から尊敬される国となりますよう、祈念するものであります。

 むすびにあたり、天皇皇后両陛下の益々のご健勝と、皇室の弥栄を心からお祈り申し上げまして、式辞といたします。

 (平成30年11月27日 天皇陛下御即位三十年奉祝委員会設立総会 式辞 より抜粋)

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宮永 俊一三菱重工業株式会社代表取締役社長
宮永 俊一

ご即位三十年を心よりお慶び申し上げます

 天皇陛下がご即位されて三十年を迎えられましたことを心よりお慶び申し上げます。

 常に、国民と共に、国民のためにとご公務にあたられ続けて頂いていらっしゃいます両陛下に、深甚の敬意と感謝を捧げるものでございます。

 三菱重工業は、明治十七年の創立以来百三十年以上にわたり、日本の近代化とともに歩み、社会の変化や多様なニーズに応えながら、エネルギー、航空・宇宙、船舶・海洋、産業機械、防衛など、いわゆる社会基盤に関わるものづくりに取り組んでまいりました。

 陛下におかれましては、幾度も弊社が携わった製品をご覧頂きました。日本や世界の平和・発展に心を砕かれる陛下に、私どもの事業に接して頂けましたことを大変光栄に感じております。

 ご即位以来の三十年の間には、阪神・淡路大震災、東日本大震災をはじめとする自然災害や、痛ましい事件が、幾度も発生いたしました。

 その時々に、被災地各地へのご慰問あるいはご行幸をはじめ、陛下が国民の幸せを願ってお示しになられる思し召しやお言葉に感銘を受けて参りました。

 弊社は、様々な面から広く社会基盤を支える製品を送り出している立場から、日本国民や世界の人々が安全に安心して生活できるよう、これからも全力で取り組んでまいる所存でございます。

 私どものものづくりが、常に国民一人ひとりの幸せを願っておられる陛下のお気持ちに少しでもお応えできるものであれば、これ以上の幸せはございません。

 あらためてご即位三十年を寿ぎ、両陛下と天皇ご一家ますますの弥栄を祈念申し上げます。

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森 義久全国商工会連合会会長
森 義久

陛下のお言葉を胸に

 天皇陛下におかれましては、御即位三十年をお迎えになられましたこと、ここに全国八十万余の商工会会員とともに衷心よりお祝い申し上げます。

 この間、国民の象徴として、ご公務を担われ、国内各地で行われる各種行事や式典に加え、大規模な自然災害により被災した地域へ率先して足を運ばれ、常に国民に寄り添い、語り掛ける、そのお姿をお見掛けするたびに、深い感銘を受けてまいりました。

 去る平成二十二年十月に、商工会法施行五十周年を記念して全国から約一万名が一堂に会して執り行われた式典において、天皇皇后両陛下にご臨席賜ったことに改めて深く感謝を申し上げます。

 記念式典におきましては、過疎化や高齢化など地域を取り巻く厳しい環境に対する深いご理解と、その中で必死に事業活動をしている中小企業・小規模事業者へのご配意、そして我々商工会が地域に根ざした活動をしてきたことへの労いなど、温かいお言葉を数多く賜りました。そのお言葉は、今でも全国の商工会関係者の胸に深く刻まれております。

 現在でも全国の商工会では式典の様子を掲揚させていただき、そのご厚情を受け継ぐとともに、地域社会や地域商工業の発展に取り組む商工会関係者の大きな励みになっております。

 また、天皇陛下にはいつも皇后陛下の暖かいお支えがあったことと拝察いたします。天皇陛下の傍らにおいでになられる皇后陛下のご様子は、まさに天皇陛下と共に、国民を優しく包み込むようであり、その慈愛に満ちたお姿に心の安らぎを与えていただいております。

 ここにあらためて、天皇陛下の御即位三十年を心からお慶び申し上げますとともに、両陛下の御健康と皇室のいやさかを心からお祈り申し上げまして、お祝いの言葉といたします。

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渡邉 光一郎第一生命保険株式会社代表取締役会長
渡邉 光一郎

両陛下と共に歩んだ国民の健康増進に向けた取組み ~保健文化賞~

 御即位三十年を迎えられましたこと、誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。

 第一生命は明治三十五年の創業以来、保健衛生の向上や健康増進に向けた活動に取り組んできました。

 創業当時、結核病患者の増加が国家喫緊の課題となっている中、当社は財団法人保生会を設立し結核患者の撲滅を目指しましたが、その後香淳皇后の御令旨により公益財団法人結核予防会が設立されたため、保生会は結核予防会と共に歩むことが最良と判断し、全施設を結核予防会に寄付しました。

 このような国民の健康を願われる皇室と当社の重なる想いは、保健文化賞に引き継がれています。

 保健文化賞は、戦後の衛生環境が悪化していた中、わが国の保健衛生の向上に取り組む団体・個人に感謝と敬意を捧げる賞として昭和二十五年に創設され、平成三十年で七十回を迎えた、当社において最も長い歴史をもつ社会貢献活動です。具体的な活動内容は、生活習慣病対策・高齢者や障がい者への福祉・海外での医療や疾病対策など、その時代におけるさまざまな課題に継続的に取り組んでこられた団体・個人を顕彰してきました。これまでの受賞者総数は、六八三団体、個人三五二名、合わせて一,〇三五件にのぼります。

 当賞受賞者は昭和三十四年より昭和天皇および香淳皇后に拝謁する機会をいただき、天皇皇后両陛下におかれましても平成元年より三十回にわたり拝謁をお受けいただきました。

 私も社長時代の平成二十二年から平成二十八年まで受賞者の引率として拝謁いたしましたが、その際、両陛下の国民の幸せを常に願われているお人柄をお側で感じさせていただきました。

 受賞者も両陛下に拝謁しお言葉を頂戴することが、長年の苦労が報われるとともに今後の活動の糧となっています。そしてそれが受賞者のその後の全国各地域における更なる保健衛生向上活動に繋がっていることはもとより、今後受賞を目指す国民や団体にとっても大きな励みとなっています。

 第一生命はこれからも国民の保健衛生の向上や健康増進に向け邁進して参ります。

 保健衛生の向上に大きく寄与してきた保健文化賞はこれからも当社取組の大きな柱となります。今後も当賞が皇室と共に歩ませていただきながら発展していくことができれば幸甚でございます。

 結びに、天皇皇后両陛下のご健康と皇室の益々のご繁栄を心からお祈り申し上げ、ご即位三十年のお祝いの言葉とさせていただきます。

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